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11月 11, 2020の投稿を表示しています

真 如 堂

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  わらべ歌      ああ真如堂       (ああしんどいな)         飯黒谷さん       (めしくったか)         ここらで一服永観堂   (ここらでいっぷくええだろう)              お茶漬けさらさら南禅寺 (お茶漬け更々何千目) 真如堂 三重塔                                                   

真 如 堂

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  本堂に入る。浄土曼荼羅(当麻観経曼荼羅)が開陳されていた。本坊へ向かう。その途中の庭に本歌「燈明寺石燈籠」(九基名物のうち鎌倉時代)があり、三井家より寄贈されたものである。傍らにシャシャンボウと言う石楠花科の見事な木が植えられてあり、その右には蹲いの面白い形をしたものもある。書院は東山を臨んでおり、そこに涅槃の庭(昭和六三年作)というのがある。枯山水であるがまさに釈迦が涅槃をしているかのごとき石組みが苔の陸地に囲まれており、その手前の白砂の渦巻きのなかに水晶石のようなやや透明な石が置かれているのも興趣あり。右手の島には二本の大きな松があり、後方の生け垣の向こうは叡山が借景として見える。作者は判らなかったが、石組みなどの構成も落ち着いており、なかなかの名庭であった。本堂の回廊より撮した紅葉が、見事であった。 真如堂 涅槃の庭

真 如 堂

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  今日は紅葉を見るために、東山を南下することとした。京都駅より地下鉄で丸太町へ、京都御所の南西よりバスに乗り、丸太町通りを東へ向かい、白川通りを少し北上したところでバスを降りる。真如堂は吉田山の南にあり、急な坂道を登って境内に入る。 当寺の正式名称は鈴声山真正極楽寺といい、天台宗の寺院である。建立は九八四年であり、一条天皇の母藤原詮子(道長の妹)の願により叡山の僧・戒サン(竹+弄)上人を開山として創建された。時はまさに藤原道長全盛の時期で、紫式部が「源氏物語」を書いていた時代である。その後当寺は転々としたが、一七一八年に現在地に再建された。 本尊は阿弥陀如来立像で、藤原時代の慈覚大師円仁の作と言われる。この如来像は日本三如来の一つで、「頭振りの阿弥陀」「うなずきの阿弥陀」と呼ばれている。これは完成後作者円仁が「修行者の本尊にならせ給え」と祈ったところ、頭を三回横に振った。驚いた円仁が数日後「都に出て衆生、分けても女人を救い給うや」と問うたところ、こんどは三回うなずいたと言う伝説によるものである。以来庶民特に女人の間に信仰が篤い。ご本尊に供えるお茶湯は「末期の水」として有名であり、信仰するものは年老いて家人に下の世話をかけずに往生できると言われている。当院は開創以来歴朝皇室や歴代将軍と深い縁があり、北条家・足利家・信長・秀吉・家康などの信仰も篤かった。また三井家・冷泉家・池坊家の菩提寺でもあり、向井去来もここに眠る。三重の塔や本堂付近の紅葉が見事で、三脚を建てたカメラマンがたくさんいる。 真如堂 境内