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11月 29, 2020の投稿を表示しています

天 龍 寺

  二尊院より南下して、小倉池のそばを通り大河内山荘の前を左に折れて、竹林の中を進むと、そこが天竜寺の北門である。こちらから天龍寺にはいるのは、始めてである。裏山の紅葉を見つつ、曹源池に出る。この庭の紅葉は未だ紅葉しているのが少なく、やや風情がない。 以前ここを訪れたときは、夕刻に近かったが、今回はお昼である。太陽の光は庭の正面に向かつて左手上から射しており、庭一面に十分な陽光が行き渡っているが、趣に欠けるのはなぜであろうか。やはり朝一番か、もしくはやや薄曇りの日の方が、庭の風情は高まるものなのかもしれない。  嵐峡に面した料理屋で、湯豆腐を食して嵯峨野を辞す。

宝 篋 院

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化野念仏寺より参道を戻る。このあたりは道の左右が、全て土産物屋となっておりこの奥嵯峨の地域まで、観光化の波が押し寄せてきているのがよく判る。瀬戸内寂聴の棲む寂庵はこの近くにあるようだ。いっぷく処・つれづれの店先に、緋色の和傘が立てられており、その後ろにあるもみじの紅葉と調和して、見事である。カメラを向ける。さらに下って、宝篋院に入る。昨年の秋に始めてこの寺に来たが、嵯峨野の紅葉の中ではこの寺がベストと感じた寺である。取り立ててこれという造作のない庭であるが、平庭一面の紅葉が美しい。しかし最盛期と言うにはやや早かった感がある。 宝篋院  

化 野 念 仏 寺

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  本日は嵯峨野巡りでの紅葉狩の日とする。京都に来てもう何度も嵯峨野には来ているが、この化野念仏寺に来たのは、二十三年ぶりである。化野は古くより、鳥辺野、蓮台野とともに葬送を行う野辺の地であった。あだし野の名の起こりは、「あだし」がはかない・悲しみの意味を持つことから、「あだしなる野辺」そして「あだし野」となったようである。他に「仇野」「阿陀志野」とも書くようである。兼好法師の「徒然草」にも   「あだし野の露消ゆる時なく鳥辺野の烟立ちさらでのみ住果つる習ならば如何に物の哀もなからん世は定めなきこそいみじけれ」   と記されている。寺伝によれば、当寺は約千百年前に弘法大師により、五智山如来寺として開創され、後に法然上人の常念仏道場となり、現在は華西山東漸院念仏寺と称して浄土宗に属している。本尊阿弥陀仏座像は湛慶の作である。山門への坂道を登る。この道にはもみじが紅葉して垂れ下がっており、朝の陽を透かして美しい。山内にはいると夥しい無縁石佛や石塔が、西院(さい)の河原に立ち並んでいる。地蔵盆の夕刻の千燈供養は、光と闇と石仏の織りなす荘厳浄土具現の光景として有名である。そこからインドのストゥーバを模したと言われる仏舎利塔を見て、本尊阿弥陀仏座像を拝す。境内には楓はまばらであり、やはり参道付近の楓の紅葉が最も印象的であった。     暮るる間も 待つべき世かは あだし野の            末葉の露に 嵐たつなり     式子内親王   誰とても 留るべきかは あだし野の            草の葉ごとに すがる白露    西行法師