本日は嵯峨野巡りでの紅葉狩の日とする。京都に来てもう何度も嵯峨野には来ているが、この化野念仏寺に来たのは、二十三年ぶりである。化野は古くより、鳥辺野、蓮台野とともに葬送を行う野辺の地であった。あだし野の名の起こりは、「あだし」がはかない・悲しみの意味を持つことから、「あだしなる野辺」そして「あだし野」となったようである。他に「仇野」「阿陀志野」とも書くようである。兼好法師の「徒然草」にも 「あだし野の露消ゆる時なく鳥辺野の烟立ちさらでのみ住果つる習ならば如何に物の哀もなからん世は定めなきこそいみじけれ」 と記されている。寺伝によれば、当寺は約千百年前に弘法大師により、五智山如来寺として開創され、後に法然上人の常念仏道場となり、現在は華西山東漸院念仏寺と称して浄土宗に属している。本尊阿弥陀仏座像は湛慶の作である。山門への坂道を登る。この道にはもみじが紅葉して垂れ下がっており、朝の陽を透かして美しい。山内にはいると夥しい無縁石佛や石塔が、西院(さい)の河原に立ち並んでいる。地蔵盆の夕刻の千燈供養は、光と闇と石仏の織りなす荘厳浄土具現の光景として有名である。そこからインドのストゥーバを模したと言われる仏舎利塔を見て、本尊阿弥陀仏座像を拝す。境内には楓はまばらであり、やはり参道付近の楓の紅葉が最も印象的であった。 暮るる間も 待つべき世かは あだし野の 末葉の露に 嵐たつなり 式子内親王 誰とても 留るべきかは あだし野の 草の葉ごとに すがる白露 西行法師