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長 谷 寺

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  本堂の広い舞台の上から眺める境内と初瀬の風景はなかなか見応えがあるが、夏の日差しは肌を射し汗が吹き出る感じである。登廊の周囲に植えられている牡丹は、唐の皇妃馬頭夫人の献木と伝えられている。本堂より御影堂、五重塔と巡って仁王門へと下る。           花咲かば 堂塔埋もれ つくすべし    虚子         花の寺 末寺一念 三千寺        虚子     当山の御詠歌       いくたびも 参る心は はつせ寺               山もちかひも 深き谷川      百人一首       憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ             はげしかれとは 祈らぬものを                                           源俊頼朝臣 長谷(ちょうこく)を「はせ」と読むのは、この初瀬からでたものであろう。室生寺にしても長谷寺にしても、奈良時代に渓谷に沿った山裾に建造されたお寺は、平城京や平安京などの都の中もしくは周辺に造られたお寺と比べると、より純度が高くそして境内に自然が溢れているような感じを受ける。それだけ信仰心が篤い時代の雰囲気が、より濃く出ているのであろう。門前町の料理屋に入り、鮎の塩焼きを食べる。なかなかの美味である。長谷寺の駅より、また榛原経由名張の駅に戻る。そして名張より急行に乗って難波に戻る。 長谷寺 舞台

長 谷 寺

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  室生寺より電車に乗り、榛原で乗り換えて長谷寺に着く。長谷寺の駅は小高い丘にあり、初瀬川の遥か向こうに長谷寺の堂宇が望まれる。歩いて石段を下り、旧伊勢街道に出る。門前の店を見つつ、長谷寺の前に出る。この長谷寺は、真言宗豊山派総本山で西国観音霊場第八番である。当寺の縁起によれば、山号は豊山、この地は昔豊初瀬、泊瀬と呼ばれていたので、初瀬寺、豊山寺とも呼ばれている。奈良時代の七二七年に徳道上人が聖武天皇の勅を奉じて、十一面観音菩薩を祀ったそうである。春は枝垂れ桜、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は寒牡丹と四季の花が美しく咲くため、花の寺とも称されている。 仁王門を入ると、緩やかな巾広の石段の登廊が続いている。これは立原正秋の「春の鐘」の映画化された物に出てきたと記憶している。登廊は途中で右に折れ、またまっすぐとなって本堂のあるところへと続いている。本堂はこれまた室生寺と同じく舞台造りであり、説明によれば東大寺の大仏殿に次ぐ日本最大級の木造建造物である。現在の本堂は、徳川家光公の寄進により造営されたとのことである。本堂の中に入る。本尊十一面観音菩薩は想像していたよりも大きく、十メートルあまりの見上げるばかりの御仏である。御仏の面前において拝すれば、御仏はやや腰をかがめて足許に集う衆生を慈悲の目で見つめ下ろしてくれるかの如くである。金箔がまだしっかりと張り付いているせいか、鋳造佛のように思われるが、実際には木造であり一五三八年に造られた我が国最大の木造佛であるとのことだ。観音菩薩はその左手に蓮の花が挿してある水瓶を持ち、右手には錫杖と念珠を持って方形の石造りの台の上に立っている。これは十一面観音としては独特の姿形であり、観音の持つ水瓶と地蔵の持つ錫杖・念珠を持つことで、観音・地蔵の両菩薩の徳を併せ持つ佛として造られたようである。 長谷寺 登廊