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12月 12, 2020の投稿を表示しています

戒 壇 院

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  三月堂を出て、なだらかな坂道を下り、大仏殿の前を通って戒壇院へと向かう。東大寺には昔何度か来たことがあるが、この戒壇院を訪れるのは始めてである。この院は戒律の第一人者であった唐僧鑑真が、勝宝六年に大仏殿の前に戒壇を設けて、聖武天皇以下百官公家四百人に戒を授け、同年に孝謙天皇の宣旨により造営されたものである。戒壇院はその後火災により何度か再建され、現在のものは享保時代(一七三二年)に再建されたものである。 院内に入ると、壇の中央に多宝塔が安置され、四隅に四天王が配されている。当院の四天王はもともと銅製のものであったがそれが失われたため、現在は東大寺の中門堂から移された四天王が置かれている。四天王は仏法の守護神として我が国においては飛鳥時代から信仰があり、天平時代に最高潮に達した。四天王が身に纏う甲冑は遠く中央アジアの様式である。静にして動、動にして静のこの四天王は、彫刻に於ける理想を実現し得たものとして、世界最高レベルを行くものと評価されている。これらの四天王の中では、一番動きの少ない広目天に心惹かれた。他の三天部には、その甲冑の下の筋肉にまで力が漲っていると感ずるが、この広目天については左手に書巻を持ち、右手に筆を持った自然な肢体をしており、筋肉もどちらかと言えば柔らかさを保っているように思える。しかしその額を寄せ目を狭めて、遠くを見据えるかの如き顔の表情からは、仏法を守らんとする強靱な意志が感じられ、それが我々を感動させるのではないかと思った。先の法華堂と比すると、こちらの方がより濃密で静謐感のある仏法の空間であるという思いが強い。 東大寺 戒壇院

法 華 堂(三月堂)

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  ついで三月堂に入る。この建物は天平一二年(七四〇年)の頃の創建と考えられており、東大寺最古の建物である。この辺り一帯に聖武天皇の皇太子基親王の菩提を弔う金鐘寺というお寺があり、それがやがて大和国国分寺、さらには東大寺へと発展したという。不空羂索観音を本尊とするところから古くは羂索堂と呼ばれていたが、毎年三月に法華会が行われたことから、後に法華堂と呼ばれるようになったという。堂内に入ると、内陣の中央に本尊の不空羂索観音が立ち、その廻りに合計十六の仏像が所狭しとばかりに立ち並んでいる。内十二体が国宝であり、四体が重文、天平時代の造立のもの十四体である。本尊の両脇に帝釈天、梵天が立ち、四隅に持国・増長・広目・多聞の四天王が置かれてあり、その他に地蔵菩薩、不動明王、吉祥天、弁財天、そうして前面中央には阿形と吽形の金剛力士が配されている。本尊の真後ろには執金剛神が厨子に納められている。有名な日光・月光菩薩は本尊のやや手前に並べられている。全体として仏の大きさに比して、お堂が小さい感じがあり、又本尊とその他の仏像との大きさがアンバランスな印象が強い。又あまりに多くの大きな仏像を、この小さな堂内に納め込みすぎているという感じも強い。従って、せっかくの国宝、重文の仏像が、この狭い堂内では十分に活かされていないと言う気がする。又日光・月光菩薩は他の仏像に比べると、この堂内では余りにも小さくて、その存在感が薄れてしまっているのも残念である。 法華堂と二月堂

二 月 堂

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  ( The Shuni-e Ceremony )  The Shuni-e Ceremony at the Nigatsu-do is best known by the name of Omizutori.Begun in 752 by Jitchu,the chief disciple of Roben who founded Todai-ji,the ceremony is formally a rite of repetenance to Eleven-headed Kannon in which penitence for one's misdeeds is sought in front of an image of Eleven-headed Kannon.Due to the Three Poisons--covetouness,anger and ignorance that are the true nature of humans--we commit myriad offenses which accumulate as contaminants of the spirit; as a result we become unable to see the truth and we also become ill. Through the ceremony one can repent one's misdeeds and attain a pure mind and body, do away with the misfortune and woes that are the retribution for one's evil deeds, and obtain well-being.However,although the Shuni-e is a rite of penetance it is important to remember that when it was begun it was a ritual performed on behalf of the state.Natural disasters, epidemics and rebellions were all seen as illne

二 月 堂

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  阿倍文殊院より桜井駅に出て、そこからJRに乗って奈良駅に出る。駅よりタクシーに乗って、東大寺の二月堂まで行く。車は東大寺の裏手を通って、大仏殿の東側にある二月堂への参道を登って行く。この辺りには車は乗り入れ禁止だと思っていたが、タクシーは大勢の観光客の中を登って行き、三月堂の前にある境内に着く。まず修二会(お水取り)で有名な二月堂に登る。このお堂は修二会が旧暦の二月に行われることから、二月堂と呼ばれており、江戸時代に再建された重文である。この修二会について、東大寺の観光者向けの本には次の通りの説明がある。 二月堂