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11月 26, 2020の投稿を表示しています

祇 王 寺

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  パンフレットによれば、この祇王寺は大覚寺の塔頭で真言宗のお寺である。有名な祇王の物語は次の通りである。   「祇王は近江の国江辺生の庄司の娘であったが、父が罪に問われ北陸に流されたため、母・妹の祇女と共に京に出て白拍子となる。そののち祇王は清盛の寵を得て、安隠に暮らしていた。しかし加賀の国の仏御前という白拍子が、清盛の西八条の館を訪れ、舞を見せたいと申し出た清盛は門前払いをしたが、祇王の取りなしで仏御前を呼び入れて、今様を謡わせた。声も節もすこぶる上手で、清盛は忽ちにして仏御前に惹かれてしまい、ついに祇王から仏御前に心を移してしまった。そして祇王は      萌え出ずるも 枯るるも同じ 野辺の草             いずれか秋に あはで果つべき  祇王   と障子に書き残して、館を追い出されてしまった。かくて祇王二十一、祇女十九、母刀自四十五の三人は尼となり、祇王寺の土地で仏門に入った。そこへまもなく仏御前も剃髪して尼の姿で加わったのは、十七の歳であった」    春  まつられて 百敷き春や 祇王祇女    夏  短夜の 夢うばふもの ほととぎす    秋  いざよいの 月かくれにし 露の冷え    冬  五十年の 夢とりどりの 落葉かな   智照尼 祇王寺の吉野窓

祇 王 寺

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  祇王寺に入る。陽が傾いていたこともあろうが、紅葉そのものもここではピークを過ぎており、二十数年前の秋に広島の友達と訪れたときの優美な印象は再確認出来なかった。 新緑の祇王寺

時 雨 亭 趾

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  宝篋院から祇王寺へと向かうその途中の厭離庵近くに、定家に因んだ立て札がある。それを見て定家は嵯峨野近くに時雨亭を有していたことを思い出す。 中里恒子の「時雨の記」では、二尊院の時雨亭趾が出てくるが、嵯峨野にはこれ以外に二つの時雨亭趾があるようである。又嵯峨野はその地形より、時雨の多い土地として有名であることも思いだし、先ほどの小雨はまさにその嵯峨時雨だったのだなと思う。 二尊院 時雨亭跡