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11月 8, 2020の投稿を表示しています

金 戒 光 明 寺

  霊鑑寺から、タクシーに乗って金戒光明寺へと行く。運転手さんによれば、金戒光明寺と呼ぶのではなく京都の人は皆「黒谷さん」と呼ぶと言っていた。正式名称は紫雲山金戒光明寺と言う。比叡山で修行を終えた法然が念仏弘通のため山を下りてこの地で唱名念仏を唱えていたところ、紫雲光明の生ずるのを感得したと言う。そこでこの地に一一七五年に草庵を結んだのが当寺の始まりであると言われている。浄土宗鎮西派の本山の一つである。寺名もそれに因んで光明寺となっているが、八世雲空が御光源天皇より「金戒」の二字を賜ったので、金戒光明寺と号するようになった。その後応任の乱で焼失してしまったが、公武の庇護で再建され、現在の堂宇で最も古いのが阿弥陀堂である。これは豊臣秀頼の再建になるものである。大方丈は昭和十年の再建であり、前庭は正面に寝殿造りの門があり、石畳の左右は白砂で蔽われている。そして左右の塀に沿って躑躅の刈込を配した、清浄感溢れる庭である。御影堂では念仏の最中であった。

霊 艦 寺

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  ついで霊鑑寺へと廻る。当時は臨済宗南禅寺派に属する尼門跡寺院で、正式名称は円成山霊鑑寺と言う。後水尾天皇の皇女を開基として一六五四年に創建、以降皇女皇孫が入寺された。庭園は山畔池泉鑑賞式で、書院の南面に池がある。面白いのは池の周りの石組みは大きく左側に造られており、池そのものは右半分に設えている事である。池には石橋がありその右手に小さい燈篭を配している。左半分は苔地となっており、その左手にもう一つの燈篭が置かれてある。そして正面に大きな般若型燈篭を置いて、バランスを取っている。池の前は砂地と白砂であるが、清浄感は少ない。この山畔の左手にある石段を登ると、本堂がある。山の斜面一面が苔で覆われていて、これが二段目の庭となっている。 それから更に石段を登ると、裏山の庭となっている。この裏山には一面に椿の木が植えられている。さまざまな椿の木を見ながら庭を一巡する。書院には御所人形が、色々と展示されていた。帰りは池の裏側の庭を巡って、出口から退出する。 霊鑑寺の椿

安 楽 寺

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  法然院より、安楽寺に回る。このお寺は法然が流罪地より戻った後、安楽と住蓮の菩提を弔うために草創されている。しかしその後荒廃を繰り返した後、一六八一年に現在の仏堂が建立されている。正式名称は住蓮山安楽寺という。山門より本堂に至る道の左右が庭となっていて、躑躅の大小の刈込が中心の庭である。安楽・住蓮・松虫・鈴虫を供養する五輪石塔があり、又仏足石もあった。松虫・鈴虫剃髪図や小野小町九体図というのもある。この九体図とは大変な美人といわれた小野小町の死後の腐乱・白骨化して行く状況を九つの画で書き表しているもので、この絵を見させる事で男性に美女に執着する事の空しさを教え、その情欲を押さえさせようとした物だといわれている。 安楽寺