金 戒 光 明 寺

 

霊鑑寺から、タクシーに乗って金戒光明寺へと行く。運転手さんによれば、金戒光明寺と呼ぶのではなく京都の人は皆「黒谷さん」と呼ぶと言っていた。正式名称は紫雲山金戒光明寺と言う。比叡山で修行を終えた法然が念仏弘通のため山を下りてこの地で唱名念仏を唱えていたところ、紫雲光明の生ずるのを感得したと言う。そこでこの地に一一七五年に草庵を結んだのが当寺の始まりであると言われている。浄土宗鎮西派の本山の一つである。寺名もそれに因んで光明寺となっているが、八世雲空が御光源天皇より「金戒」の二字を賜ったので、金戒光明寺と号するようになった。その後応任の乱で焼失してしまったが、公武の庇護で再建され、現在の堂宇で最も古いのが阿弥陀堂である。これは豊臣秀頼の再建になるものである。大方丈は昭和十年の再建であり、前庭は正面に寝殿造りの門があり、石畳の左右は白砂で蔽われている。そして左右の塀に沿って躑躅の刈込を配した、清浄感溢れる庭である。御影堂では念仏の最中であった。

コメント

このブログの人気の投稿

県 神 社

天 龍 寺

金 閣 寺