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祇 王 寺

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  パンフレットによれば、この祇王寺は大覚寺の塔頭で真言宗のお寺である。有名な祇王の物語は次の通りである。   「祇王は近江の国江辺生の庄司の娘であったが、父が罪に問われ北陸に流されたため、母・妹の祇女と共に京に出て白拍子となる。そののち祇王は清盛の寵を得て、安隠に暮らしていた。しかし加賀の国の仏御前という白拍子が、清盛の西八条の館を訪れ、舞を見せたいと申し出た清盛は門前払いをしたが、祇王の取りなしで仏御前を呼び入れて、今様を謡わせた。声も節もすこぶる上手で、清盛は忽ちにして仏御前に惹かれてしまい、ついに祇王から仏御前に心を移してしまった。そして祇王は      萌え出ずるも 枯るるも同じ 野辺の草             いずれか秋に あはで果つべき  祇王   と障子に書き残して、館を追い出されてしまった。かくて祇王二十一、祇女十九、母刀自四十五の三人は尼となり、祇王寺の土地で仏門に入った。そこへまもなく仏御前も剃髪して尼の姿で加わったのは、十七の歳であった」    春  まつられて 百敷き春や 祇王祇女    夏  短夜の 夢うばふもの ほととぎす    秋  いざよいの 月かくれにし 露の冷え    冬  五十年の 夢とりどりの 落葉かな   智照尼 祇王寺の吉野窓

祇 王 寺

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  祇王寺に入る。陽が傾いていたこともあろうが、紅葉そのものもここではピークを過ぎており、二十数年前の秋に広島の友達と訪れたときの優美な印象は再確認出来なかった。 新緑の祇王寺

時 雨 亭 趾

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  宝篋院から祇王寺へと向かうその途中の厭離庵近くに、定家に因んだ立て札がある。それを見て定家は嵯峨野近くに時雨亭を有していたことを思い出す。 中里恒子の「時雨の記」では、二尊院の時雨亭趾が出てくるが、嵯峨野にはこれ以外に二つの時雨亭趾があるようである。又嵯峨野はその地形より、時雨の多い土地として有名であることも思いだし、先ほどの小雨はまさにその嵯峨時雨だったのだなと思う。 二尊院 時雨亭跡

宝 篋 院

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  庭園は受付横の折戸を押して入るようになっている。中に入ると同時に、「照る花紅葉」の世界が開ける。期待していた以上の素晴らしい紅葉の世界を愛でながら苑路を進み、本堂のほうへと入って行く。 本堂から眺めると苔と石組みで構成された部分はあるが、その他は楓樹と苔に覆われた回遊式枯山水庭園である。本堂の裏手の書院前には、坐鑑式の枯山水庭園と露地がある。そこより苑内を周遊。裏手には竹林もある。しかしこのお寺はやはり、何と言っても本堂南面の紅葉の庭が圧巻である。黄・橙・赤橙・赤・紅・真紅と、色とりどりの紅葉が庭全面に拡がっており、まさに錦繍の世界であった。 宝 篋 院

宝 篋 院

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嵐電の嵐山駅を降りて清涼寺に向かつて北上して行く。もうかなりの人々が紅葉を見終えて、駅のほうへと戻って来ている。途中JR嵯峨野線を渡ったあたりで、小雨が降り始める。傘も帽子も持っていないので、少し雨宿りをするも雨は降り止まない。小雨なのでそのまま歩いて行くと、お店で帽子を売っているところがある。冬になれば帽子も必要かと思い購入して外に出ると、もう小雨は上がっていた。 清涼寺前を左折して突き当たったところが、宝篋院である。この寺は平安後期の白河天皇の勅願寺として建てられ、当初は善入寺と命名された。 その後南北朝時代に夢窓国師の高弟黙庵が再興し、爾来臨済宗となっている。そして室町幕府二代将軍の足利義詮の帰依を受け、没後その菩提寺となっている。そして義詮の院号に因み、寺名も宝篋院となったのである。黙庵は又南朝の楠木正行と相識り、正行に没後を託されていた。正行は四条畷での高師直との合戦で討ち死にをし、黙庵は生前の交誼によりその首級を善入寺に葬った。義詮は黙庵より正行の話を聞き、その人柄を褒め称えて自らもその墓の傍らに葬るべく黙庵に頼んだとのことである。 宝 篋 院  

 天 球 院

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 天 球院は一六三一年に、姫路城主・池田輝政の妹である天久院により創建された。この折りに地中より瑞宝が出たので、天球院と命名されたようである。 方丈内部は狩野山楽・山雪の筆による襖絵で飾られている。やや装飾過多な感じで、狩野永楽の筆致との差があるように思う。金碧画であることも、また風情がない。風韻と言うものが感じられないのは、魂を込めて描いてないからであろうか。 庭は苔庭の中央に大木の松を配している。その松の根の張り方は面白い。そして松の周囲に石を配置し、右手に宝篋院塔がある。遺憾ながら、特別拝観料の千円の値打ちがないのは残念である。

大 法 院

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  大法院に寄る。当院は一六一二年真田幸村の兄・信幸の孫である千種大納言有能の側室・長姫を開祖とするお寺である。真田家とその縁戚の千種、久我、内藤四家の香華寺である。信幸の院号が大法院と言うそうである。またこのお寺には、佐久間祥山の墓もあるようである。  庭は苔庭であり、右手に待合い席その手前に灯籠、正面は背の低い竹があり左手に茶室を配している。木立があるため、庭はやや薄暗い。この庭は露地庭で、飛び石・垣門・灯籠・蹲い・袖摺りの石・腰掛待合などがある。庭の構成は外露地、中露地、内露地の三段構成になっている由。露地庭に面したところに坐して、抹茶を頂く。