宝 篋 院

嵐電の嵐山駅を降りて清涼寺に向かつて北上して行く。もうかなりの人々が紅葉を見終えて、駅のほうへと戻って来ている。途中JR嵯峨野線を渡ったあたりで、小雨が降り始める。傘も帽子も持っていないので、少し雨宿りをするも雨は降り止まない。小雨なのでそのまま歩いて行くと、お店で帽子を売っているところがある。冬になれば帽子も必要かと思い購入して外に出ると、もう小雨は上がっていた。

清涼寺前を左折して突き当たったところが、宝篋院である。この寺は平安後期の白河天皇の勅願寺として建てられ、当初は善入寺と命名された。

その後南北朝時代に夢窓国師の高弟黙庵が再興し、爾来臨済宗となっている。そして室町幕府二代将軍の足利義詮の帰依を受け、没後その菩提寺となっている。そして義詮の院号に因み、寺名も宝篋院となったのである。黙庵は又南朝の楠木正行と相識り、正行に没後を託されていた。正行は四条畷での高師直との合戦で討ち死にをし、黙庵は生前の交誼によりその首級を善入寺に葬った。義詮は黙庵より正行の話を聞き、その人柄を褒め称えて自らもその墓の傍らに葬るべく黙庵に頼んだとのことである。

宝 篋 院

 

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