地蔵院

 地蔵院は清閑な住宅街の真ん中に、ひっそりと佇んでいる。当山は正式名称を衣笠山地蔵院といい、夢窓国師を開山とする臨済禅宗の寺である。本尊は傳教大師最澄の作と言われる延命安産の地蔵菩薩を祀っているとのことである。

もともとこの地は鎌倉時代に歌人であった衣笠内大臣藤原家良が山荘を営んだ処で、南北朝時代になって、室町管領細川頼之が夢窓国師の高弟であった宗鏡禅師を招請して、伽藍を建立した。細川家の略系図によれば、初代細川公頼は足利よりの出となっており、頼之は三代目で一三二九年に三河の国に生まれ、将軍足利義満を補佐して管領職となっている。のちに頼之は武蔵守となって、南北両朝の和合に尽力したとある。日本外史にも細川頼之の海南行と言う詩が残っている。

 

  人生五十功なきを愧ず     花木春過ぎて夏巳に中なり

  満室の蒼蠅掃えども去り難し  起ちて禅榻を尋ねて清風に臥せん

 

 また龍安寺の開基である細川勝元は頼之の四代後であり、細川幽斎藤孝は頼之の弟である頼有より八代後に出ている。山門を入ると、境内は紅葉につつまれている。紅葉の色合いは、秋雨が少なかったためかやや褐色に近いのが残念である。

堂前を右に折れて、方丈に入る。方丈入口の黄緑と薄紅色の混ざり合った、背の低い楓の木が風情あり。方丈に上がって、名勝庭園、十六羅漢の庭を見る。この庭は宗鏡禅師の作と言われるが、苔庭に十六羅漢の修行の姿を表す石組みが並べられ、正面中央に刈り込みが配してあるだけの、あまり造作のない庭である。しかしあまり特長はないが、落ち着きが感じられ、いわば長く見ても飽きの来ない顔をした庭であると感じた。羅漢とは、智恵の力を持って悩みを無くし正覚に達すること、または智恵を得、悟りを開いて世人から供養を受けるに足る聖者を言うとされている。方丈内には、細川三斎忠興の妻、ガラシャ夫人の詠んだ和歌が表示されていた。 

   散りぬべき 時知りてこそ 世の中の

          花は花なれ 人は人なれ    細川ガラシャ

 当院はまた一休禅師とも縁があり、禅師は後小松天皇の皇子として、一三九四年に子の地蔵院の近くの民家で生まれ、幼少のころ当院で修養されたといわれている。その後六歳で、安国寺に移って本格的な修行をしている。
地蔵院



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