桂 春 院
最初に桂春院を訪れる。当院は織田信長の長男信忠の、そのまた次男である津田秀則により当初見性院として創建された。その後美濃の豪族であった石河(いしこ)貞政により、現在の建物が造られている。石河貞政は幼少より豊臣秀吉に仕えて重臣となり、江州長浜城主となっている。しかし後の関ヶ原の戦いでは徳川家康に従い、爾来直参旗本となった武将である。そしてこの石河貞政の法名が、桂春院と言う。
当院の栞によれば「禅宗とは、坐禅の修行によりて単刀直入内に向かつて自己何者ぞ、人生とは、存在とは畢竟何か、と真っ向に追求し、直下に分別意識の極限を飛び超えて真理を体験し、只仏に直参することを生命とする。人間がその存在の根底より呼び起こす魂の郷愁として(絶対成るもの、永遠なるもの)に全人格を投げ出し、そこに新しい自己を発見し、人生の意義に目覚め、一種の安心性、安住性、千万人といえども我行かんという心の悟りを得るもので、それは多くの宗教中最も根源的な、最も純粋な宗教である」とのことである。言わんとするところは何となく判るが、この文章は相当に読みにくいものであると思う。庭園に関しての記載は、次の通りである。「庭園には遊楽の場を目的とした相対的な美意識の立場にある山荘池泉回遊式鑑賞庭園と、真実の自己を究明する場を目的とした禅精神の影響による知性を超越した絶対的な美の立場である枯山水庭園がある。枯山水の庭は(三万里程を寸尺に縮む)筆法であり、それは石も樹木も白沙も青苔も無限の広さ大きさを持ち、大自然に帰一する禅精神の極高・静寂・脱落・有限性の表徴であり、高度の芸術である」と書かれている。
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