<洛 西> 等 持 院

 大徳寺より等持院へと行く。当院は一三四一年に足利尊氏が夢窓国師に帰依して創建したお寺で、その後室町幕府の近くにあった等持寺もこちらに移建されて、足利家の菩提寺となった。応仁の乱などで火災にあったが、豊太閤も秀頼に命じて当院を再建し、この寺の保存に努めている。

現在の方丈は一八九八年に妙心寺山内より福島正則造営の方丈が移されたものである。方丈庭園は門を背景にした白砂と苔の陸地の上に、石や刈り込み、樹木が配置された枯山水の庭で、左側には松の植え込みの島もある。凝縮感は乏しいが、簡素で親しみやすいお庭である。その隣にある霊光殿は弘法大師作と言われる地蔵尊を本尊として、足利家代々の将軍達の木造を祀り、また徳川家康の木造も安置している。禅宗十刹の筆頭持院でありながら、弘法大師作の地蔵尊を祀っていることも面白い。

方丈北庭は芙蓉池の庭として有名であるが、池の中心に島がありそれが蓮の形となっていることから芙蓉池と名付けられたようである。中之島は蓬莱島であり、球形に近い横紋の石を中心に据え刈り込みで覆われている。池の左手の奥に小川が小さな滝となって流れ込んでいる。中之島へはこちらより石橋が架かつており、池の右方奥には枯れ滝風の石組みが築山の上にある。左側は山畔式で茶亭までの間を刈り込みで埋め、その間に石を配している。茶亭は村田珠光や相阿彌などと茶道を興した義政好みの清漣亭であり、上段一畳を貴人床とする武家風の二畳台目の席である。池の清漣に心を静めることを悦ぶと言うところから、清漣亭と命名されたようである。

 清漣亭から降りて、池の向こう側を巡る。この庭はもともと心字形となっており、尊氏の家臣であった高師直が夢窓疎石の勧めにより開いた真如寺の庭園であったという。東庭は最近になって整備されてきたようであるが、それでもまだ管理が行き届いていない。大きな池の中央に大小二つの島がある。こちらが方丈島と瀛州島である。現在は樹木がやや茂りすぎているが、この造りは苔寺と類似性があると言われている。

等持院 庭園


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