南 禅 寺 本 坊

永観堂より南禅寺に向かう路も、また風情がある。湯豆腐を食べさせる聴松院の前を通って、南禅寺の山門のところに出る。山門の楼上にも、沢山の人が登っている。当寺は瑞龍山太平南禅禅寺と正称し、臨済宗南禅寺派の大本山である。鎌倉時代の半ば過ぎの一二九一年に亀山法皇が自らの離宮を施捨して開山仏心大明国師に創建させたものである。

臨済宗の各派本山の創建時は、次の通りである。建仁寺が一二〇二年、南禅寺が一二九一年、大徳寺が一三二四年、(室町幕府一三三六年)そして相国寺が一三八二年である。南禅寺は諸堂・伽藍を完成した二世南院国師を創建開山としている。初めは龍安山禅林禅寺と号したが、その後すぐに瑞龍山太平南禅禅寺と改称した。

山門は天下龍門と号し、上層の楼を五鳳楼と呼ぶ日本三大門の一つとして有名である。現在の門は藤堂高虎が大坂夏の陣で倒れた将士の菩提を弔うために再建したもので、石川五右衛門の「絶景かな」の伝説で有名となっている。

「絶景かな、絶景かな。春の詠め(ながめ)は価千金とは、小さなたとえ。

この五右衛門の目からは万両。最早、日も西に傾き、誠に春の夕暮れの桜は、

取りわけ一入一入ハテ麗かな眺めじゃなぁ」 

                    歌舞伎「楼門五三楼」より

 山門を見上げた後、南禅寺本坊の方丈へと入る。狩野探幽、永徳等の金色の襖絵が立ち並んでいる。書院より方丈(清涼殿)の広縁に出る。正面に坐って、庭を観賞する。白沙の敷かれた庭の右端には、七つの刈り込みがある。庭全体の三分の二を右から楓、椿、松の三本の木で分割し、左手に親虎を思わせる大きな石を配し、それから右側へ五つの石つまり子虎を配している。三本の木の高さは左の松、ついで右の楓そして中の椿の順であり、それらの間に配された刈り込みが優しい印象を与える。大きな石はいずれも肌色、灰色、白色の斑模様の石である。手前の亀のような石の形が面白い。平面のみを表に出した石が、どの庭に於いても興趣あるのは何故であろうか。石の殆どが土の中に埋まっているということは、重心が地下にあることを思わせ、見る人に安定感を与えるためであろうか。また三本の木で三分されているのは、蓬莱、方丈、瀛州(えいしゅう)を表しているのかもしれない。日が陰ってきたかと思うと、時雨が降り始めた。庭の観賞には晴天より曇天、それよりも時雨ている時が風情があるように思える。「虎の児渡し」と呼ばれ小堀遠州の作と伝えられている庭であるが、優雅で簡素で均整の取れた名庭である。小方丈の前の如心庭は白沙の中に置かれた石が、どの方向から見ても心の字を表しているとのことである。六道庭は苔庭で、中央奥に蓬莱山を思わせる石が置かれている。龍源院の龍吟庭とよく似ている感じがした。

東山のあたりにて

  京にても 京なつかしや ほととぎす      芭蕉

   鶯や 障子あくれば 東山           漱石 

南禅寺 方丈庭園


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