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 正 法 寺

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  勝持寺を出て、坂道を下っていったところに大原野神社がある。この神社の創建は今から千二百年前で、藤原氏の氏神である奈良の春日の神社の分霊を祀ったのが始まりと言われている。大原野神社から下って、善峰川の支流を渡ると、正法寺である。入口から正法寺に登る緩やかな坂の途中に、枝垂れ桜の見事なのが今を盛りと咲き誇っている。それを写真に撮って、正法寺の中へと入る。 この寺は古くは唐招提寺の鑑真和上の高弟であった智威大徳が隠棲したのが始まりであり、その後弘仁年間に弘法大師が当時を訪れ、四十二歳の厄除けのために聖観音を刻されたという。その後応仁の乱の戦火で焼失したのを、大阪城落城の年の元和元年に再興された。正式名称は法寿山正法寺と言い、真言宗のお寺として、西山大師と呼ばれて古くから親しまれている。本堂には聖観音、三面千手観音、本尊の薬師如来、愛染明王などが祀られている。 本堂より室生殿に行く。庭は手前に池が配され、その左手に枝垂れ桜の木が、薄紅色の花を優美に開かせている。そしてその向こうは石庭となっており、その石が鳥獣の形をしているところから、鳥獣の石庭と呼ばれる庭が広がっている。(作庭は昭和)庭の塀の向こうには、京の街の南方の眺望が広がっており、なかなかの借景を持つ庭である。ちょうど枝垂れ桜の満開時に来合わせたと思われ、垂れ下がる八や白みの強い薄紅の花びらが、実に見事であった。 正法寺 枝垂れ桜

勝 持 寺(花の寺)

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  今日は特休を取っての、花見の一日である。先ず大原野の花の寺(勝持寺)から廻ることとする。阪急の東向日の駅で降りる。そこからのバスは随分と時間があるため、タクシー乗り場に並ぶ。ちょうど同じく花の寺に行こうとしている初老の人が声を掛けてきて、その人と一緒に花の寺に行く。 勝持寺は今日の西山連峰の麓にあり、正式名称は小塩山大原院勝持寺という古刹である。白鳳三年(六八〇年)に天武天皇の勅によって、神変大菩薩・役(えん)の行者が創建したのが始まりで、延暦十年(七九一年)に伝教大師が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽藍を再建され、薬師瑠璃光如来を一刀三礼をもって刻まれて、本尊とされたと言う。承和五年(八三八年)仁明天皇の勅により、頭院四十九院を建立したが、応仁の乱の兵火に遭い、仁王門をのぞいて全てが焼失した。 参道の石段を登り入山して、庫裡にある受付から小門を潜って、本堂前に出る。本堂正面に立って境内を見渡すと、桜の木々が立ち並んであるが、まだどの木にも花は咲いていない。やはりここは西山の山裾にかかっており、桜の開花は遅いのであろう。境内を廻って行くと、鐘楼のそばに西行桜と書かれた立て札がある。その木はあまり古木という感じのしない背の高い木で、花が三分咲き位に咲いている。鳥羽上皇に仕えていた北面の武士佐藤兵衛義清が、保延六年(一一四〇年)にこの寺において出家し、名も西行と改めて庵を結び、一株の桜を植えて吟愛していたという。世人はその桜を西行桜と呼び、爾来当寺も花の寺と呼ばれるようになったという。 十二時に瑠璃光殿の拝観予約をしていたので、本堂に上がり瑠璃光殿に入る。拝観者は他にいず、一人で住職とおぼしき人の説明を聞く。中央に本尊薬師如来座像(重文)があり、日光、月光菩薩や十二神將、金剛力士像などが祀られている。この薬師如来像は丸額のような形をした背光を持っており、優しく柔和な感じの仏様である。穏やかなほほえみがお顔全体に漂っていて、目鼻は細く、小さく引き締まった口許をしている。右肘を曲げて体の正面で柔らかく印を結び、左手は薬壺を持っている。衆生のために祈りながらも、自らも又恍惚の法悦の世界に入っていっているような、そんな感じのする如来像である。 正面の仏像の説明の後、お坊さんが収蔵庫の電気を消して、室内を真っ暗にする。そうしておいて左手にある如意輪観世音菩薩の厨子内

宝 篋 院

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  入山受付の横にある小さな芝戸を開けて入ると、そこには錦繍の世界が広がっている。俗世間を離れた別天地のことを、壺中の天と言うが、ここはまさしくその意味で紅葉に満ちあふれた壺中の天である。昨年、今年と色々な紅葉の名所を巡ってきたが、その中で自分なりに評価を下せば、この宝篋院の紅葉がベストであると言えよう。 庭自体の構成はきわめて単純であり、本堂の前庭の中央を真横に横切る参道とそこより本堂への参道があるのみで、少しの起伏や枯山水風の箇所はあるが、全般に平庭の全てに楓樹が植え込まれている、どちらかと言えば平板な庭である。しかしこの紅葉の時期にはその庭全体の楓が紅葉して、見事な錦繍を織りなすのである。庭の後ろのほうには竹藪もあるが、紅葉の庭が長方形であり且つあまり広くないことも、庭としての統一感を創り上げているのかもしれない。陽を透かした紅葉の葉の美しさを、存分に味わうことが出来た。 宝篋院を出て、二尊院の方へと回る。二尊院の紅葉も盛りを過ぎているようなので、中に入るのを止めて、そこより少し下ったところの茶店で小休止する。そのあと落柿舎の前を通って、野宮神社に参る。ここに来たのも二十数年ぶりである。ビロードのような苔の庭が印象的であった。野宮神社からJR嵯峨野の駅に出る。駅で電車を待つ間に、有名な嵯峨時雨がぱらぱらと降ってきた。 宝篋院

龍安寺

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  そこからまた鏡容地のほうへと下る。秋の京都は何処に行っても美しい紅葉を愛でることが出来るが、この龍安寺でこれほどまでに見事な紅葉を楽しむことが出来るとは思わなかった。 龍安寺 紅葉

龍 安 寺

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  地蔵院より国道九号線に入り、五条通りから一六二号線で天神川沿いに上って、花園から御室に出て、龍安寺に着く。門前の茶店でお団子を食べ、それから運転手さんお薦めの鏡容池奥の紅葉を見るために、山門より入る。山門前の拝観受付は方丈の石庭の拝観券であり、その他は無料であることも運転手さんより聞いていたため、拝観券を求めずに境内に入る。そして鏡容池沿いに、参道を進む。ちょうど弁天島の前の辺りにある楓の紅葉が、紅色がかつていて見事である。 弁天島や、屋形船をバックにして何枚かの写真を撮る。真田幸村のお墓のある大珠院や西源院の前を通って、庭園の奥に向かう。方丈本坊の前の参道あたりは、運転手さんの言葉の通り、紅葉がしっとりと色づいており、その色もやや淡い朱色、紅色、黄色をこき混ぜた感じで実に美しい。その参道を奥に進むと、石段の上に石碑の置かれているところがある。その辺りの紅葉もしっとりと落ち着いた色合いで、見事な錦繍を見せてくれている。 龍安寺 鏡容池

地蔵院

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  地蔵院は清閑な住宅街の真ん中に、ひっそりと佇んでいる。当山は正式名称を衣笠山地蔵院といい、夢窓国師を開山とする臨済禅宗の寺である。本尊は傳教大師最澄の作と言われる延命安産の地蔵菩薩を祀っているとのことである。 もともとこの地は鎌倉時代に歌人であった衣笠内大臣藤原家良が山荘を営んだ処で、南北朝時代になって、室町管領細川頼之が夢窓国師の高弟であった宗鏡禅師を招請して、伽藍を建立した。細川家の略系図によれば、初代細川公頼は足利よりの出となっており、頼之は三代目で一三二九年に三河の国に生まれ、将軍足利義満を補佐して管領職となっている。のちに頼之は武蔵守となって、南北両朝の和合に尽力したとある。日本外史にも細川頼之の海南行と言う詩が残っている。     人生五十功なきを愧ず     花木春過ぎて夏巳に中なり   満室の蒼蠅掃えども去り難し  起ちて禅榻を尋ねて清風に臥せん    また龍安寺の開基である細川勝元は頼之の四代後であり、細川幽斎藤孝は頼之の弟である頼有より八代後に出ている。山門を入ると、境内は紅葉につつまれている。紅葉の色合いは、秋雨が少なかったためかやや褐色に近いのが残念である。 堂前を右に折れて、方丈に入る。方丈入口の黄緑と薄紅色の混ざり合った、背の低い楓の木が風情あり。方丈に上がって、名勝庭園、十六羅漢の庭を見る。この庭は宗鏡禅師の作と言われるが、苔庭に十六羅漢の修行の姿を表す石組みが並べられ、正面中央に刈り込みが配してあるだけの、あまり造作のない庭である。しかしあまり特長はないが、落ち着きが感じられ、いわば長く見ても飽きの来ない顔をした庭であると感じた。羅漢とは、智恵の力を持って悩みを無くし正覚に達すること、または智恵を得、悟りを開いて世人から供養を受けるに足る聖者を言うとされている。方丈内には、細川三斎忠興の妻、ガラシャ夫人の詠んだ和歌が表示されていた。      散りぬべき 時知りてこそ 世の中の           花は花なれ 人は人なれ    細川ガラシャ  当院はまた一休禅師とも縁があり、禅師は後小松天皇の皇子として、一三九四年に子の地蔵院の近くの民家で生まれ、幼少のころ当院で修養されたといわれている。その後六歳で、安国寺に移って本格的な修行をしている。 地蔵院

粟生光明寺

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大阪駅より新快速で高槻まで行く。高槻で普通に乗り換えて、長岡京駅(旧神足駅)に着く。駅前には予約していた弥栄自動車のタクシーが止まっているが、運転手さんの姿がない。少しして運転手さんが駅から下りてくる。タクシーに乗って、今日の予定としては西山の寺社仏閣を廻りたい旨話す。そして先ずはじめは長岡天満宮に向かう。 天満宮に着いて錦水亭の方へと歩いて行く。この辺りの紅葉も、もはや盛りに近くなっている。これでは山の中のお寺の紅葉は、もう盛りを過ぎているなと思う。錦水亭の面している池は、工事中であり景色に風情無し。時間の関係でお宮そのものは見ないで、長岡天満宮より粟生光明寺に行く。 秋雨が少なかったせいか、ここの参道の紅葉も盛りを迎える前に枯れて縮れているものがある。写真などでこの参道の紅葉の見事さを印象づけられているだけに、大変に残念である。この寺は、法然上人が最初に念仏を説いた旧跡に、出家した熊谷直実(蓮生坊)が、念仏三昧院を建立したのが草創である。現在は西山浄土宗総本山になっている。参道を上がり、本坊前でまた脇道より引き返す。当初はこの寺より、三鈷寺、善峰寺、十輪寺、金蔵寺、正法寺、勝持寺(花の寺)と廻り、西山大原野のお寺を全て廻ろうと考えていたが、この様子では山中の寺の紅葉は全て終わっていそうである。 そこで方針を変更して、圓光寺、源光庵を見て、その後嵯峨野に行くこととする。その旨運転手さんに話すと、彼はこれから行く道筋に地蔵院というのがあるのでそこを見て、その後運転手仲間から今龍安寺の庭の紅葉が良いと聞いているので、そちらも廻ったらどうかとの話あり。それでその二つのお寺も廻ることとして、先ず地蔵院に向かう。 粟生光明寺