依 水 園

 地下鉄で難波まで行き、そこから急行で鶴橋に出る。鶴橋から快速急行に乗り換えて奈良に向かう。途中布施そしてトンネルを抜けて生駒、それから学園前、西大寺を経て終着駅の近鉄奈良駅に着く。登大路をまっすぐに、若草山の方へ向かって歩いて行く。右手の興福寺がある。国立博物館手前を左折して、すぐ右に曲がった突き当たりが依水園である。東大寺南大門の西、万葉集に詠われた吉宜川(よしきかわ)の北に位置する。

 依水園には前園と後園があり、前園は元興寺(興福寺)摩尼殊院(まにしゅいん)の別業があったところとされている。一六七〇年代(四代将軍徳川家綱の時代)に奈良の晒し業者・清須美道清が別邸を設け、萱葺の建物を造って黄檗山の木庵禅師を招き、禅師より「三秀亭」(春日三山の秀れた眺望に因む)と名付けられた。これが前園にある建物である。一方後園は明治三十三年(一九〇〇年)に奈良の豪商関藤太郎の気宇のもと、裏千家十二世叉ゲン(玄+少)斎玄室の設計指導により完成された。「依水園」の命名は関藤太郎によるもので、水に依って家業が成り立ち、今また清流によって余生を愉しむことが出来るという意味合いを持っているとのことである。庭の遠景に若草山・春日山・御蓋山(みかさやま)、中景に東大寺南大門の甍と参道の松並木を取り入れて借景とし、池・築山・清流・伽藍石・銘木・珍木を配した名園である。作庭は京都の茶人前田瑞雪が設計指導し、林源兵衛が施工したとも言われる。柳生堂、氷心亭などの建物がある。まず前園から見る。池泉回遊式のこぢんまりとした庭であり、中之島を渡って、三秀亭に至る。この庭は取り立てて興趣湧かず。そこから茶室を経て後園へと廻る。氷心亭の前に立つと、堂々たる構成の庭の景観が広がる。池には右方に島を配し、そこには左岸より円形の飛び石で渡れるように造ってある。右奥には吉宜川の清流を引き込んでくる、小さな滝口も見える。池の正面から左手にかけては築山となっており、刈り込みが配されている。その向こうに南大門の上層部が見え、その遥か向こうに左の若草山、右に春日山が遠望できる。見事な中景、遠景の借景庭園である。右側より園内を周遊。清流を上手く使った趣のある庭で、銘木を配して趣向を凝らしている。

依水園 庭園

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