不 退 寺

 近鉄奈良駅よりバスで不退寺へ行く。一条高校前でバスを降りて、細い道を行く。途中JR関西本線の踏切がある。踏切を渡って行くと、不退寺の門が見えてくる。奈良のお寺に関して一般的に言えることであるが、京都のお寺と比べると概して鄙びて古めかしいお寺が多い。山門を入る。寺伝によれば、当寺は八〇九年に平城天皇が譲位ののち、当地に萱葺きの御殿を造営し入御、萱の御所と呼ばれていた。のちにその皇子の阿保親王及びその第五子・在原業平朝臣が、相承してここに住んだ。仁明天皇の勅願により、近衛中将兼美濃権守であった在原業平朝臣が、不退寺として建立したものという。業平朝臣が伊勢神宮参宮の砌(みぎり)に、天照大神より御神鏡を賜りそれを霊宝とし、八四七年に自ら聖観音像を造り、これを本尊として父親王の菩提を弔うと共に、衆生済度のために「法輪を転じて退かず」と発願し、不退転法輪寺を起こしたという。

入門するとすぐに本堂が正面に見える。受付は左手の庫裏にある。若い坊さんが出てくる。まず庫裏の裏にある石棺を見て欲しいとの由。これは近くの古墳に置かれてあった石棺を運び込んだもので、五世紀のものだという。本堂はこの若いお坊さんが案内してくれる。本尊の聖観音菩薩立像(重要文化財)は一米九十糎の高さで、木彫一刀彫りである。全身に胡粉地の上に極彩色の花紋装飾を施した、豊満端厳な仏像である。今もまだその白い胡粉が斑に残っている。やや女性らしさを感じさせる、美青年のキリリとしたかんばせをしている。頭上の頭髪の前の冠に、仏が一体置かれてある。冠帯の両脇の結び目が蝶結びで、極めて大きく優雅なのが特徴的である。また左手には蓮華を一本持っているのも、聖観音としては独特であるとのことである。平安初期の作であるが、優美であり且つ森厳さを持つ仏様である。

本堂右手には伊勢の天照大神も祀られてあり、お寺の堂内に区分はあるというものの、仏様と神様が同居しているのも極めて珍しいことである。お堂を出て園内を巡る。池の前の石碑には次の和歌が、刻まれていた。

    於ほ可たは 津きをもめで新 古礼曽己能

             徒裳れは人の お伊登奈る毛乃

     おほかたは 月をもめでし これぞこの

              つもれば人の 老いとなるもの

                         在原業平朝臣

                       (伊勢物語八十八段)

不退寺 本堂


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