秋 篠 寺

本堂は二十数年前に来たときと同じで、本堂内に入ると、一番左手に伎芸天が祀られている。堂内は大勢の参拝客でいっぱいであり、最初は説明を聞くのみとなる。説明が終わり、一団体が去った後で、ゆっくりと伎芸天を鑑賞する。昔と比べると堂内の照明が一段と良くなっており、伎芸天がその照明の中に浮かんで見える。記憶の中にある伎芸天より、はるかに見ごたえがある。説明ではこの御仏の頭部(乾漆造)は千二百年前に造られたものであるが、肢体の部分(寄木造)は鎌倉時代に作成し仏頭と合成したとのことである。しかし両者は見事に調和しており、全く違和感がないのはそれだけ鎌倉時代の肢体の方の作者が、この伎芸天に魅せられていたためかもしれないと感ずる。伎芸天のかんばせを見上げる。お顔の表情は、夢見心地で法悦の境地を彷徨っているかのようである。浄化された悦楽の音楽を、伎芸天はその薄く開けた唇から、静かに薄暗いこの堂内の空間に漂わせているかと見える。束髪はやや薄い朱色がかかっていて、火災に遭われたせいかお顔が肢体の中で一番黒くなっているのも印象的である。右肩、右腰をやや後ろに引いて、左足の膝をやや前に出している。そしてお顔もやや左前方に傾けており、その姿勢がこの御仏に動きを与えていると思える。左手は掌をこちらに向けて少し前に出しながら伸ばしており、親指と中指、薬指で印を結んでいる。右手は肘を曲げて掌を見せながら前に掲げ、左手と同様な印を結んでいる。納衣は左腕は上膊部の半ばまで掛かり、右腕は肘の先まで納衣に被われている。肢体は鎌倉時代の作と言われるが、これもまた剥落しており、腰から上はやや白っぽく、腰より下は茶色のまだらとなっている。そのお顔と肢体のバランスが絶妙であり、鎌倉時代の作者はもしかすると火災に遭う前の御仏の体躯を、以前よりよく観察していたのかもしれないと思えるほどだ。横に廻って、御仏の背後を見ると、そこも又極めて肉付きよく豊満な肢体であることがよく判る。

肩から胸の上部にかけては、聖林寺の十一面観音と同じく巾広で豊満であるが、それが脇腹にかけて鋭角的に引き締まっており、その下のお腹はふっくらとしていてやや前に突き出されている。お顔の横の耳は、異様に大きく長く分厚いが、しかしお顔全体としてみると極めて自然な感じである。又束髪の頭の部分と、お顔の部分のバランスが、きちんととれていると思える。伎芸天はいわばミューズの女神であるが、この女神のお顔は祈るような、かそけく唱うような、気高く浄化された悦楽の表情をされている。まさに御仏の体内で天上の音楽が奏でられ、その妙なる調べが御仏からこの空間へと流れ出てきているかのようである。眉毛はまどやかな半円を描いており、瞼もふっくらとしており、まなこをうっすらと開けておられるようで、眼差しに慈愛の表情が籠もっておられる。鼻筋はすっきりと通っていてあまり高くなく、小鼻は幅広く肉厚である。唇は分厚く上唇が少し開かれていて、そこから悦楽にたゆとう心を唱う歌が聞こえてくるようである。この御仏のお顔に現れている天上の法悦の表情は又、官能のエクスタシーに満ち足りた後の女人の地上の悦楽の表情に極めて類似していると思われるのも不思議なことである。堂内には御仏の深い御心の中の、慈悲と優しさと法悦が、たおやかな音の調べとなって漂っているかのようで、私も又御仏の法悦にくるまれて、天上に浮遊するかの如き心地であった。

秋篠寺 本堂

 

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