龍 安 寺

 又この石組みは人の世の移り変わりの中にあっても、ただ厳然としてそうして寂としてここに存在し続けてきたという事実。時間の重みの前にあっては、自らの一時の心の迷いなどは如何ほどのものかという感が強くなるものである。石組は自然はそして宇宙は、何も変わることがない。そこに存在するのは、無常感のみである。その事実がかえって、人の悩みを慰めることになるのだ。この世の中における自己は孤独であることが当たり前であり、人の輪の中にあって一時期喜びに浸ったとしても、根元的には人間はこれらのひとつひとつの石と同じように、ひとり孤独に存在しているのだ。そう言った人間存在の宇宙の中における孤独を、この庭は我々に教えてくれるかのようだ。傷ついた人間が、さらにその傷口を大きくすることで蘇生して行こうとするように、人間は根源的に孤独な存在なのだという厳然たる事実が、かえって心に迷いや悩みを持つ人間にとって救いとなり慰めとなるというこの逆説。悲しみに打ちひしがれている人間にとって、悲しみの極みの音楽がかえって深い慰めとなるという不思議さと、いかに似通っていることか。人間という存在の不可思議さを覚えないではいられない。井上靖も「石庭」という散文詩に、同じような思いを開陳している。

 

「ここ龍安寺の庭を美しいとは、そも誰が言い始めたのであろう。人は

 いつもここに来て、ただ自己の苦悩の余りに小いさきを思わされ慰め

 られ、そして美しいと錯覚して帰るだけだ」

 

龍安寺のパンフレットには、次のように英文で説明が付いている。

 

 [ The  Rock  Garden ]

This simple yet remarkable garden measures only thirty meters from east to west and ten meters from south to north. The rectangular ZEN garden is completely different from the gorgeous gardens of court nobles constructed in the Middle Ages. No trees are to be seen; only fifteen rocks and white gravel are used in the garden. It is up to each visitor to find out for himself what this unique garden signifies. The longer you gaze at it, the more varied your imagination becomes. This rock garden surrounded by low earthen walls may be thought of as the quintessence of ZEN art. The walls are made of clay boiled in oil. As time went by, the peculiar design was made of itself by the oil that seeped out. This garden of worldwide fame is said to have been laid out by SOUAMI, a painter and gardener who died in 1525.

 

 この石庭は既に桃山時代より稀代の名庭とされ、豊臣秀吉もここで花見をしたと言われる。しかしこの庭の作者については、諸説があるようである。開山の義玄天承、寺を建立した細川勝元、絵師であり義政の同胞衆であった相阿彌、勝元の実子細川政元、西芳寺の住職子建西堂、それに茶人の金森宗和などである。但し、この庭の左から二つ目の石組みの裏側に、「小太郎、彦二郎」という名が刻まれている。この庭師は一四九〇年頃に存在したことが記録として残っており、そこから類推すれば時代的には細川政元が庭を着想し、小太郎・彦二郎に造築させたという説が成り立つようである。政元は奇行の多い人間で、かつ倹約家でもあったという。応仁の乱後の財政逼迫の下で、石と砂のみの庭を考えたこともあり得ることではある。高さ一・八メートルの油土塀は屋根が異様に大きく、右手奥の西側の壁が南へ行くに従って徐々に低くなる、遠近法を用いている。油土塀は土を大釜でよく煮て、その土に塩の苦汁(にがり)を混ぜて叩いた、非常に堅固な壁である。大きな柿葺きの屋根と土塀の灰色と肌色の混じった色調、それに白砂と石がまた灰色と肌色の混色であり、それらが全て照応して背景の木々の緑と見事な色調の調和した景観を造り上げている。灰色は寂しさを、肌色は暖かさを表し、それが土塀の灰色の抽象的とも言える模様と相まって、幽玄さを醸し出している。方丈裏に水戸光圀寄進の、「吾唯知足」の龍安寺形手水鉢の複製がある。知足は老子の言葉であるという。拝観客がこの手水鉢の上に、沢山の一円玉・十円玉を投げかけており、風情無し。
龍安寺 石庭


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