玄 宮 園

 彦根城の外濠は琵琶湖と繋がっており、車はまずその外濠に出る。そこからいろは松のあるところを通って佐和口より入り、内濠沿いに玄宮園に向かう。このあたりは城下町の風情が充分に残っており、興趣あり。

玄宮園は井伊家四代城主直興が一六七七年に槻(つき)御殿の一部として着手したもので、完成は一六七九年である。これは四代将軍徳川家綱の時代で、同時代人としては少し前に小堀遠州、楽三代のんこう、柿右衛門、石川丈山、片桐石州、狩野探幽、千宗旦、隠元、野々村仁清がいる。また井原西鶴や松尾芭蕉が活躍していた時代といえる。同時期には奈良慈光院の茶室、丸亀城、高松城、松山城、閑谷学校が出来上がっている。この玄宮園は殆ど同時期に造園された岡山の後楽園と同じく、池泉回遊式の大名庭園として、城郭より内濠を隔てた場所にあり、中国湖南省の瀟湘(しょうしょう)八景に模して作庭され、唐の玄宗皇帝の離宮の名を取ったということである。池には神仙島が作られ、鳳翔台の建物が池に面している。その対岸よりの眺めは、池に面した鳳翔台その向こうに天守閣と城山が望まれ、まさに絵となる景観である。しかし池とこの建物が中心の庭園であり、岡山の後楽園のごとき多様さはない。またその奥の楽々園(槻御殿)は、現在は料亭として使われており、有名な枯れ池を玄宮園側より覗いたのみに終わった。

玄宮園


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