龍 潭 寺

 山道を降り、龍潭寺へと下る。正門をまっすぐに入ると、県の青少年会館があり、その右手奥にお寺の入り口がある。東寺の正式名称は弘徳山龍潭護国禅寺と言い、臨済宗妙心自派のお寺であり、パンフレットには「達磨の寺」「庭の寺」との名称も記されている。井伊大老の生母の墓があると共に、石田三成の居城・佐和山城の麓にあることから、石田三成縁の地とも記されている。開山は無相大師である。堂内に書かれている説明文によると、釈迦の正法は禅宗の始祖達磨大師に受け継がれ、それが宗祖臨済禅師に受け継がれたとしており、それが日本に渡来して臨済宗妙心寺派のこの龍潭寺の開山無相大師に脈々と流れているというのである。開山無相大師の御遺戒は「請う、その本(もと)を務めよ」である。当寺そのものはその昔天平五年(七三四年)に行基により、静岡県引佐郡井伊谷に開基されたという。その後一〇九三年に井伊家の始祖井伊共保公の菩提寺となり、一三三七年花山天皇の勅願で、開山無相大師が創建。その後後醍醐天皇の第三皇子宗良親王が中興し、かの中国濫陽の龍潭にあやかって寺号とした。一六〇一年に井伊直政公が高崎から当地に移封された折りに、開山昊天禅師によりこの龍潭寺も移建されたという。一方静岡の龍潭寺も、そのまま残っているとも言う。

方丈の南庭は、石庭補陀落(ふだらく)の庭と呼ばれている。手前の白沙の海に三つの石組みの島があり、中心は補陀落山となっており、その右手に船石がある。右の石組みには、灌木が添えられている。白沙の奥は大陸となっており、右手の奥の石組みの側の小さな樹木がひっそりと立っており、これもまた愛らしい。正面奥と右手は生け垣で区切られており、その向こう側には樹木が植えられている。正面の生け垣のところに柱があるのは、何か理由があるのであろう。左の生け垣の奥は紅葉が植えられており、左側面は高床の渡り廊下となっている。右側面の生け垣の奥には、大きな古木がまるで昇竜のごとき三本の大きな枝を広げている。二本の枝は庭に懸かるかのごとく左に傾斜しているが、残りの一本の枝は左方へ登っている。当庭園は園頭教学(造園学)の淵源となった龍潭寺衆寮(禅宗大学寮)学僧の造園学実習庭園として、開山の昊天禅師により作庭されたものである。境内には庭園の始祖夢窓国師及び小堀遠州の供養塔、また庭園史上の先賢を奉祀する庭聖殿もある。ふだらくの庭は仏殿・経堂に面しており、一面に白砂を布いてある庭で、観音の霊場である補陀落山の一帯をかたどったものであるよし。

龍潭寺 方丈南庭


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