宝 篋 院

 常寂光寺を辞して、今度は宝篋院に向かう。その途中で落柿舎の庵に、柿の実が垂れ下がっているところも風情あり。しかし柿の木がやや高すぎる感あり。落柿舎の中には入らずに、そのまま宝篋院へ行く。

当院は平安時代に白河天皇(一〇五三―一一二九年)の勅願寺として建てられ、当寺は善入寺と名付けられた。南北朝時代になって(一三五〇年頃)夢想国師の高弟の黙庵周諭禅師が衰退したこの寺を再興し、以来臨済宗の寺となっている。それからすぐあとに室町幕府の二代将軍足利義詮が黙庵に帰依し、寺の再興に力を尽くしたという。生前に小楠公楠木正行と親交のあった黙庵から正行の話を聞いた義詮は、正行の人柄に信服し正行の墓の傍らに自らを葬るようにしたという。したがってこの寺にはお互いに敵味方であった足利と楠木の両者が眠ることになったのである。

宝篋院


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