法 華 寺

 秋篠寺より法華寺に廻る。この法華寺は光明皇后御願に成る日本総国分尼寺として始められた、法華滅罪之寺である。そしてこの地所はもともと藤原不比等(鎌足の子)の邸宅趾であった。藤原不比等は皇統が天智系より天武系に移った後も、智努王(ちぬおう)の夫人であった橘三千代を迎えてこれと結婚し、その娘光明子を聖武天皇の后とすることで政権の実権を握った実力者であった。創建は七四〇年頃といわれるので、秋篠寺より五十年余り前である。

門を潜ってはいると、右手に横笛堂がある。そこから鐘楼を左手に見ながら、本堂前に来る。本堂は豊臣秀頼と淀君が片桐且元を奉行として再建した、寄せ棟造りの桃山建築である。本堂に登り、十一面観音菩薩を拝する。この菩薩は光明皇后のお姿を写したものと言われているが、実際には弘仁期(平安時代八〇九年~嵯峨天皇の御代)の作であることからこれは事実ではないが、光明皇后への讃仰のなせる業なのであろう。本堂内陣に拝する十一面観音像は晴天のため、障子を通して入る陽光が極めて明るくそのお顔もはっきりとよく見える。この御仏も極めて人間的で且つ艶めかしいが、伎芸天のあまりに洗練された清浄な艶めかしさに接した直後のためか、やや生々しすぎるという感じが強い。これは明るすぎて陰影がなさ過ぎるということにも、起因しているのかもしれない。堂内には横笛が滝口入道と交わした文がらをもって作られたという横笛像がある。これは「平家物語」や高山樗牛の「滝口入道」に描かれている悲恋話である。横笛はかっての恋人であった建礼門院の雑司・滝口入道を慕って嵯峨を訪れたが、入道に拒まれてしまう。そして入道は女人禁制の高野山に入ってしまう。伏見で尼となった横笛が、憂悶の情を法華寺の尼に書き送ったその文をもって作られたのが横笛像と言われている。他に重要文化財の維摩居士像もある。
法華寺 本堂


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