興 臨 院

 ついで特別公開の興臨院を訪れる。当院は一五二〇年に能登の守護、畠山義総により建立された。畠山家は足利幕府管領の末裔で、義総の法名より興臨院と名付けられている。開祖は小渓和尚(仏智大師)であり、畠山家没落の後前田利家により修復され(一五八二年)、以降前田家の菩提寺となっている。

庭園は昭和五十年の本堂解体修理の折り、資料を基に復元されたものである。この庭は神仙思想のもと枯山水庭園として作庭され、寒山拾得のいた天台山国清寺の石橋を模し、理想的な蓬莱の世界を表しているということである。石の築山の上に石を一つ配置し、その後ろに紅葉を配している。これが蓬莱山であり、そこより川が流れ、二つの石に架かる天台山の石橋を潜り抜けて大海へ出てくる。中央の石橋の石組みの縦・横・縦と、右側の石組みの横・縦・横、それに左手にある三つの刈り込みが構図を固めている。その左は右の築山の樹木に対し、高い松の木を配してバランスを取っている。右奥を中心とする陸地に対して、左奥まで入り込んでいる海の部分を造っており、その構成が面白い。右側の樹木は貝多羅樹と言い、梵語で「木の葉」と言う意味で、昔はこれに字を書き記したそうである。これより葉書という言葉が生まれたという。東庭は、瓜塚と琴心塔の庭であり、西庭は苔と灯籠のある曲水の庭である。



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