芳 春 院

 本日は秋の特別拝観寺巡りである。

最初は大徳寺の芳春院へ向かう。タクシーで大徳寺境内の北側へ廻り、そこから歩いて境内へと入る。そのコースで入っても、やはり信長の菩提寺である総見院の前を通り、大徳寺本坊の横から芳春院へ入ることとなる。この境内の道は京都の色々なお寺の中でも、最も趣のあるお寺である。

芳春院は一六〇八年に前田利家の夫人である松子が、玉室宗珀和尚(後水尾天皇より直指心源禅師の号を賜った)を開祖として建立。松子夫人の法号より、芳春院と名付けられた塔頭である。建物は一七九六年に全焼したが前田家が再建、明治以降に書院なども建てられている。近衛文麿の学問所でもあり、前田家の墓や片桐石州の墓も境内にある。

方丈前庭は禅院式枯山水の庭である。この塔頭は二十年以上前には常時一般公開されており、訪れた記憶がある白沙の部分が広く、左側に枯れ滝の石組みと滝壺を示す石があり、そこはやや盛り土がしてある。その周りには皐月の刈り込みがある。左手には三重の石塔が置かれている。滝の流れの左にある大石と、左手中央の平たい石が興趣あり。白沙の部分が多く、また刈り込みと樹木がちょうど程良く配されているためか、清浄且つ清楚な女性的な感じのする庭である。右手の枯れ滝に対し、左手にはやや高い樹木を植えてバランスを取っているのもよい。花岸庭と呼ばれ、昭和の名作庭家である中根金作氏の作庭である。庭としては第一級のものといえる。夏には桔梗の花が咲くことで有名であり、「桔梗の庭」とも呼ばれている。

裏庭は京都の名医・横井等怡(とうい)が小堀遠州と謀って、一六一七年に池を掘り橋を架け楼閣を造った。そして玉室和尚が飽雲池、打月橋、呑湖閣と命名して、師の春屋和尚の像を祀っている。金閣、銀閣、飛雲閣と共に、京の四閣と呼ばれている。池もさほど広くないが、右側の石組みなどに趣向を凝らしており、存在感のある景観を見せている。



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