金 地 院

 次は金地院に行く。金地院は室町幕府第四代将軍、足利義持が大業和尚に帰依して開創した寺である。当初北山にあったが、慶長の初めに金地院崇伝が南禅寺塔頭に移建したものである。金地院崇伝は徳川家康に近侍し、天海和尚と共に幕議に参画し、自らは天下僧録司として社寺を司り。寺門繁興、威勢すこぶる盛大であったとのことである。世に寺大名と呼ばれ、また「黒衣の宰相」とも喧伝され畏怖尊敬を一身に集め、後水尾天皇より円照本光国師の号を賜っている。

庫裏の横手の明智門より入山する。これは明智光秀が母の菩提を弔うため、黄金千枚を寄進して大徳寺に建立したものを、明治初年に当院に移建したものである。門を入ると、弁天池がある。その傍らの苔地が青々とした緑で美しい。そこから東照宮へ廻る。崇伝が家康の遺髪と念侍仏を奉戴して、寛永五年に造営したものである。ついで開山堂へ廻る。ここが崇伝長老の塔所である。塔所を過ぎると方丈前庭に出る。この庭は有名な小堀遠州の「鶴亀の庭園」である。むかし見たことがあるはずであるが、記憶にあるものよりは広々とした庭で、遠州の造った庭の内で代表的な枯山水庭園と言われている。前面の白沙は海洋を表すと共に宝船を象徴、正面に長方形の大きな平面石があり、これは東照宮の遥拝石である。その正面左手に枯れ滝の石組みがあり、燈籠が一基配してある。そして右に大きな松を配しその周りに石を立てた鶴島、左に下り松と石を横にした亀島がある。鶴島・亀島の規模が、庭の広さに比較して大きく雄渾かつ豪壮な造りである。鶴島の松の大振りの枝と、垂直に立つ石に力強さを感じる。また亀島のやや平たい石の配置も鶴島の立石と比して対照的である。

庭の後方中央に蓬莱石組みを組んであるが、鶴亀の島が大きくかつ前面に出ているので、余り目立たない感じがする。鶴島の左端の長方形の石が面白い。その手前には、飛び石がある。背景はやや大きな刈り込みを順に高く積み上げている。これは深山幽谷の山々を表しているとの由。全体的に枯山水としては極めて大きな構造であるために、かなりの迫力を感じるお庭である。強いて言えば、中心部の石組みがややこぢんまりしている点が、難点と言えようか。左手の楓が紅葉しているのが、その前の松の緑とコントラストを為していて興趣あり。

金地院の庭


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