<洛 北> 正 伝 寺

立原正秋の「日本の庭」に書かれていた正伝寺に向かう。阪急の十三より快速で四条烏丸に出る。そこよりバスで堀川通りを上ったが、途中で方角の違うことに気付き下車する。そしてやむなくタクシーに乗り、正伝寺の山門に到着する。山門を入ると川が流れており、折からの小雨で林の中は薄暗い。参拝客は誰もおらず、一人その参道を登って行く。右手には土木工事の作業場のような物もあり、かなり風情に欠ける。

正伝寺は正しくは正伝護国禅寺と言い、臨済宗南禅寺派のお寺として、鎌倉時代に東厳慧安禅師により創立された。皇室のご信仰厚く、五穀豊穣・国家安泰を祈願する道場として、法灯七百年あまりの歴史を有するお寺である。お寺の入口も簡素であり、先客は誰もいない。入口より上がるとすぐに方丈の廊下につながっており、小堀遠州作と言われる江戸初期の「獅子の子渡しの庭園」が眼前に広がってくる。方丈の襖絵は淡彩山水画で、狩野山楽筆による中国杭州西湖の真景である。大変な名画なのであろうが、どうも襖絵には惹かれるものが少ない。広縁の天井は、関ヶ原の戦の直前に落城した伏見城の廊下の板張りを用いており、徳川方重鎮鳥居彦衛門元忠以下千二百名の自刃の跡を残す、血塗りの天井である。この寺以外にも、京都の寺のいくつかに伏見城の血塗りの天井が造られているようであるが、あまり気持ちのよいものではない。庭園のほうは白砂敷き平庭で、躑躅の刈り込みが右手より七五三と置かれて、その後には白壁の塀があるのみのきわめて簡素な庭である。しかし壁の彼方にある樹木が、逆三角形の空間を創り上げており、その空間の中央に比叡山の霊峰が聳え立つ構図となっている。折しも小雨が煙り、比叡山はその姿を雨雲の彼方としていたが、庭にじっくりと対峙していると、幸いなことに急に雲が薄れ、比叡山の姿が現れた。白沙、躑躅の刈り込み、白壁、雨で瑞々しさを増した樹木の緑、そしてその青緑色の峰を時折雲間より垣間見せる比叡の霊峰。まさに墨絵の如き世界であった。正伝寺よりは歩いて神光院の近くまで下り、その辺りの喫茶店で昼食を取る。それからバスで大徳寺へと向かった。


龍安寺 石庭

 

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