六 波 羅 密 寺
豊国神社より北上して、五条通りを越えて、六波羅蜜寺に着く。この寺は天暦五年(九五一年)に、醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された、西国十七番の札所である。上人は当寺京都に流行した悪疫退散のために、十一面観音を刻み、御仏を車に安置して洛中を引き廻り、青竹を八葉の蓮弁の如く割り、中に小梅と結び昆布を入れ仏前に献じたお茶を病者に授け、歓喜踊躍(かんきゆやく)しつつ念仏を唱えて、ついに病魔を鎮められたという。上人は叡山で大乗戒を受けておられるが、森羅万象に生命を感じ、ただ南無阿弥陀仏を唱え、今日あることを喜び、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えた。そして上人は常に市民の中にあって伝道に励んだので、人々は親しみを込めて「市の聖」と呼び慣わしたという。上人の没後も、当寺は天台別院として栄え、平安末期には平家一門がこの六波羅に邸宅を構えた。しかしその後平家没落の折に、兵火をうけ諸堂は焼失している。現本堂は、南北朝時代の修営になるものであるが、昭和四十四年に解体修理を行っている。従って、この本堂は近代になってからの建造かと思われるほどである。
このお寺の名称となっている「六波羅密」とは、次の六つを意味する。
「布施」応分な施しを為し、そして施したことを心に留めないこと。
「持戒」人の作った道徳・法律・条例などよりは、一段とレベルの高い高度な
常識で、いかなることにも対処できるよう、自らを戒めること。
「忍辱」辱めに堪え忍ぶならば、すべての人の心を心とする、仏の慈悲に通ずる
ことが出来る。
「精進」人はその立場立場で不断の努力を行い、誠心誠意尽くすことが必要で
ある。
「禅定」静かな心で自分自身を客観的に見、反省すること。
「智慧」助け合い、ルールを守り、堪え忍び、励み、自己を見つめ、苦楽を乗り
越えて、どちらへも偏らない中道を、此の岸から、彼の岸―彼岸へ-----
菩薩へ、完成へ。
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