曼 殊 院

 次に小書院の方に廻り、庭園の左側を見る。正面の滝口は二つの立てた石の下部に、薄い平石を橋に見立てて架けてある。立てた石の右側は左のそれよりかなり高い石で、蓬莱山を思わせる。滝の流れはそこから手前に流れてきて、水分石に当たって川は大きな流れとなり、その右側の流れは大きく右奥に迂回して、右方に配されている石橋の下を通って、鶴島の右に広がる白沙の海へと流れ込んでいる。滝口の左には築山があり、そこには三重の石灯籠が置かれており、滝口付近の構図をより立体感のあるものとしている。一三五ミリの望遠を使って、その風趣ある構図の写真を何枚か撮す。折しもちょうど細かい雨が、庭にさらに潤いを与えようとするかのように、樹木の葉にあたり小さな雨音を立てながら、降り始めてきた。

小書院の入り口の手水鉢は梟の手水鉢と呼ばれており、下の台石は亀、傍らの石は鶴を形取っていると言われる。小書院内の狩野探幽筆の襖のある富士の間、玉座のある黄昏の間と小庭を見て、黄不動の絵の掛かつている部屋を見る。良尚親王(一六二九―一六九三年)は二十五歳より二十九歳まで天台宗の座主(管長)として一宗を司り、黄不動を祀って密教を極めたという。また下山しては御所において後水尾天皇を始め、親王、皇子の方々に茶華道を指導されたという。そして三十五歳の時、現在の曼殊院堂宇の完成をみて永住、以来四十年間、茶道、華道、香道、書道、画道を仏道修業の具現と悟達、それを通じて人間性の完成に精進されたとのことである。中庭には一文字の手水鉢と井戸があり、これも風情あり。曼殊院門前の茶店で鰊蕎麦と炊き込みご飯を食べる。
曼殊院 中庭 一文字手水鉢


コメント

このブログの人気の投稿

県 神 社

天 龍 寺

金 閣 寺