詩 仙 堂

  圓光寺より詩仙堂に廻る。現在詩仙堂と呼ばれているのは、正しくは凹凸カ(穴+果)であり、詩仙堂はその一室である。凹凸カとは、でこぼこした土地に建てた住居という意である。詩仙堂の名前の由来は、中国の漢晋唐宋の詩家三十六人の肖像を狩野探幽に描かせ、その画に石川丈山自らが各詩人の詩を書いて、四方の壁に掲げた「詩仙の間」より取られている。

 石川丈山は天正十一年(一五八三年)に三河の国(安城市)の徳川譜代の臣の家に生まれ、丈山も十六歳で家康に使えた。松平家、本多家はその縁戚である。三十三歳の時大阪夏の陣で功名を立てるべく病を押して奮戦したが、軍律違反を咎められ蟄居の命を受けてしまった。為にこの役を最後に徳川家を離れ、京都にて文人として藤原惺窩(セイカ)に朱子学を学んだが、老母に孝養を尽くすため、広島の浅野公に十数年使えた。そうして母の没後五十四歳で京に戻り、相国寺のそばに棲んだが、五十九歳で詩仙堂を造営した。爾来清貧の中に聖賢の教えを自分の勤めとして、九十歳の天寿を全うした。丈山は隷書、漢詩の大家であり、また煎茶(文人茶)は日本における開祖である。

詩仙堂


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