普 賢 寺(観 音 寺)

 酬恩庵入口よりバスで近鉄の新田辺に出て、三山木の駅まで行く。そこでタクシーを捕まえて、普賢寺へと到着する。普賢寺は天平時代に聖武天皇の発願により良弁僧正が創建(七三〇年頃)、法相三論華厳等兼学の寺で、息長山普賢教法寺と称した。本尊は十一面観世音菩薩であり、天平十六年に安置されたものである。別名大御堂観音寺とも呼ぶが、現在はこの大御堂のみが残っている。

ちょうど母娘三人の親子連れが拝観を申し出ており、それに便乗して御堂に入る。住職とおぼしき人が厨子を開扉して、十一面観音を拝観する。このお寺の十一面観音は、ふくよかでありながら目鼻立ちがすっきりとしまった光々しいお顔、胸から腰にかけての張りのある肉感、肩から腰、膝にかけての天衣のなだらかな曲線、渡岸寺の十一面観音のほうがやや八頭身に近い感じはあるが、全体的に見れば共通点が多いのではないかと思われる。飛鳥時代のほっそりとした仏像が、天平時代にはより立体的な、ある意味でギリシャ彫刻的となり、またそれが平安時代に入ってやや太めの仏像へと変化しているようである。これは中国の仏像の様式を多分に受けているためであろう。薬師寺の日光、月光菩薩との共通点も見られると思う。お寺の略縁起によれば、十一面観音は四種功徳、十種勝利と言って、人々の苦難を救う観音の内でも、特にすぐれた御利益があり、無病息災で不時の災難を免れ、種々の祈願を成就せしめる力を持って折られるとのことである。また当寺は藤原氏の氏寺興福寺の別院であったことから、後年は藤原氏の外護を受けたようである。

母娘三人を三山木までタクシーに乗せて、そのままJRの玉水まで行く。木津川東岸の町で、小野小町が没したところと言われている。

   色も香も なつかしきかな 蛙なく

           井出の渡の 山吹の花   小野小町

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