城 南 宮

 今日は今まで廻ったことのない、鳥羽伏見を訪問する。阪急で四条烏丸まで出て、そこから地下鉄で最南端の竹田まで行く。竹田から車で、城南宮に向かう。この城南宮は、上古時代に神功皇后(息長帯日賣命おきながたらしひめみこと)が、軍船にたてた御旗を、八千矛神(やちほこのかみ大国主命)の御霊を憑けて当地に納められたのが始まりという。その後平安遷都の折りに、国常立尊(くにとこたちのみこと)を合祀し、都の南方を鎮め国を護る城南明神と仰がれるようになったという。平安末期に白河上皇は、賀茂川流域の水郷の当地を選んで鳥羽離宮を造営し、この地で院政を摂られた。そのため当地は一時は都のごとく賑わい、なかでも秋の祭礼は行粧華麗(ぎょうそうかれい)に行われたという。この城南宮は熊野詣でなどの折の、方除け(ほうよけ)の為の御幸や精進所として有名であった。しかしその鳳池壮観を極めた離宮も、応仁の乱により荒廃してしまった。その後は江戸時代末期から明治にかけて、再度「方除けの城南宮」として親しまれ始め、今日に至っている。

      社頭祝         後鳥羽院御製

    つたえくる 秋の山辺の しめのうちに

    祈るかいある 天の下かな    

      祈雨社頭祝       藤原良経

    民の戸も 神の恵みに うるうらし

    都の南 宮居せしより

国道一号線よりの西鳥居より入る。参道を進んで行くと、大きな城南鳥居の前に来る。正面手前に拝殿、その奥に本殿が建ち並んでいる。本殿にて参拝のあと、神苑(楽水苑)に入る。最初は裾に禊ぎの小川が流れている「春の山」から見る。これは鳥羽離宮当時の築山と言われている。夏草の小径を経て藪椿竹林を過ぎると、神殿の背後に出る。そこまでの印象はえらくこじんまりとしたものだなと思ったが、それは平安神宮の神苑のイメージがあるからかもしれない。神殿の東側に出てくると、やや景観が開けてくる。そこが「平安の庭」である。中央に池が造られていて、段落ちの滝・中之島・池汀や野筋に野草が群生する野趣ある秋野の景観となっている。春の山に対しての秋野なのである。曲水の宴のための遣水(やりみず)も苑内に流れており、平安時代の雰囲気を醸し出している。四月と十一月には修禊の行事にもとずいて曲水の宴を、この庭で行っているとのことだ。

「平安の庭」からいったん参道に出て、今度は「桃山の庭」に入る。広々とした芝生の奥に蘇鉄島(背の高い蘇鉄と岩)が並んでおり、その後ろは大刈り込みとなっている。芝生は海と南国の海岸線を表し、大刈り込みは緩やかな丘陵を想わせる造りとなっている枯山水である。蘇鉄の木は酬恩庵一休寺や、根来寺の庭でも見かけているが、やはり桃山時代に造園に使うのが流行したのであろうか。この庭の中心に楽水軒があり、その反対側が「室町の庭」となっている。この庭は天竜寺の庭を縮小したような感じで、池の汀に石を立てており、雄滝・雌滝・三尊石・礼拝石・船着き場などがある。室町時代の作庭法を取り入れた庭である。池の向こうには離宮茶屋がある。そして池の側には大きな枝垂れ桜の木があり、円形の枝支えが設えてある。水石亭を越えて遣水沿いに進むと、今度は「城南離宮の庭」に出る。この庭は砂と苔の島と石の構成による枯山水の庭であるが、極めて小ぶりの庭である。神苑全体には「源氏物語」に登場する草木百種以上が植裁されており、楽水苑はまた「源氏物語―花の庭」とも呼ばれているようである。

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