妙 法 院

 東山七条にある妙法院を訪れる。当院は、延暦寺の別院として当初比叡山の上に創立された天台宗の門跡寺院で、後に祇園そして当地へと移転してきた。当地に移ったのは江戸時代であり、その昔後白河法皇が構えた法住寺殿の広大な境域の中に建立され、大仏で有名な方広寺、さらには蓮華王院をも管領する東山随一の名刹として栄えたお寺である。代々法親王が住持され、霊元天皇の時期には、皇居炎上の際仮御所として使用されたこともある。

大変大きな構えの建物が連なっており、かつての往時を偲ばせる。宸殿の軒下には菊の御紋入りの提灯が掲げられており、むかしの仮御所としての風情を漂わせている。宸殿の一室は勤王派三条実美をはじめとする七卿が会議を行った部屋であり、「七卿落ち」の政変はこの寺から始まっている。

次に大書院の方に廻る。大書院南庭は中庭型式となっており、伏見桃山城の内庭を縮写したものである。瓢箪池の周りを刈り込みでかこみ、手前は白砂を敷いている。池の向こうはやや大きな刈り込みと樹木をあしらった、わりとこぢんまりとしたお庭である。庭の中央に灯籠を配しており、瓢箪池の中程には石橋が架かっている。この石橋は楠の化石を使用していると伝えられている。規模は小さいがそれなりの統一感を持った庭であった。大書院より御座の間、それに続く玉座の間を見る。ここは明治天皇のおなり御殿である。玉座に座れば正面と左手が障子戸となっており、お庭を見渡すことの出来る開放感のあるお部屋である。違い棚の上に掛けられている扁額は、「ばく清」(ばくー禾編、白、小、彡)とあり、その意は奥深く清いこと、転じて世の中の穏やかに治まるの意、とのことである。
妙法院の宸殿


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