蓮 華 王 院(三十三間堂)

 智積院より血塗り天井のある養源院の前を通って、三十三間堂にいく。このお寺は、高校の修学旅行の時に来たことがあるかもしれないが、その後O外事の時代にも訪れたことはない。入口は外国人の旅行者も含めて、大変な人出である。ここは本堂そのものが国宝となっており、正式名称は蓮華王院本堂三十三間堂である。

このお堂は千百六十四年に後白河法皇が、千一体の観音様を安置する仏堂を発願建立されたものである。その後京の大火により、堂宇・仏像の殆どが灰燼に帰したが、幸いにも千体仏のうち百五十六体と二十八部衆が救出された。その後千二百六十六年に後嵯峨上皇により再興の落慶法要が盛大に行われたという。御堂は単層入母屋造り、本瓦葺き、和様建築で柱間数が三十三もある世界でも類を見ない長い建物である。

内陣にはいる。北十五間に五百体、南十五間に五百体の合計千体の千手観音が列立している。その前に間隔を置いて、国宝観音二十八部衆が立ち並んでいる。この二十八部衆と百二十四体の千手観音は定朝から四代の孫弟子に当たる康助を始め、康朝・康慶・運慶等の手になるもので、一つ一つの美術的完成度は相当に高いように感じた。中央には蓮華座の上に高さ三メートルあまりある中尊千手観音座像が安置されている。これは大仏師運慶の長男、法印湛慶の晩年の大作である。この千手観音は正しくは「十一面千手千眼観世音菩薩」と言い、頭上には十一のお顔をつけ、両脇には四十本の手を持っている。「千手」とは、一本の手が二十五種類の世界において救いの働きをするので、四十の二十五倍すなわち千手を表すとされている。「千」とは無限無量の意味で、無限に多くの観音がこの世に満ち満ちているということで、それら全てを中央の千手観音一体に象徴させているのが、「千一体」の真の意味であるという。観音という仏はあらゆる人の苦悩や危険を全て救い助けて幸福にしようとする誓願を立てた菩薩と言われている。この御堂に入れば、千一体の夥しい数の観音に囲まれて、その一体一体から生ずる祈りが、この薄暗い御堂の中に立ち籠もっているかのように感じられた。御堂の裏手の回廊に展示されているものの中に、後白河法皇の愛した梁塵秘抄の歌が、展示されていた。

 

  THE BUDDAH IS ALWAYS THERE. BUT ALAS, HE NEVER

    COMES IN SIGHT. AT THE SOUNDLESS DAWN, HE DIMLY

    SHOWS HIMSELF IN OUR DREAMS

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            仏は常に在せども 現ならぬぞ あはれなる

        人の音せぬ 暁に ほのかに 夢に 見えたまふ

                       梁塵秘抄
三十三間堂


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