清 水 寺 成 就 院

 清水寺へ向かう。そして三時半過ぎに成就院へ入る。もとは赤松氏の邸宅趾であったという当院は、応仁の乱の後に清水寺を再興した願阿上人により創建されたお寺である。現在の建物は寛永九年(一六三九年)に、徳川家光により再建されている。

庭園の作者は相阿彌が原作者でその後小堀遠州が補修したという説と、松永提督が作者であるという説があるらしい。いずれにしても江戸初期の名庭の内の一つである。雪月花の庭の内の「月の成就院庭園」として有名で、その他にも「典雅温淳体の庭」などとも呼ばれている。そして当院には西郷隆盛と一緒に入水した、月照和尚もかつていたという。

庭は右の音羽山の山畔を用い、湯屋谷と向かいの高台寺山を上手く使った作庭となっている。右の山畔は円形と四角形・長方形の刈り込みを使って被っている。池の中には烏帽子岩と蜻蛉灯籠を配した中島、そしてその右手に籬(まがき)島がある。そして池のこちら側の手前には、瀬戸内海の大島産の自然石で造った・誰が袖形手水鉢がある。そして池の右手の方には、愛らしい形をした手鞠灯籠も置かれている。右手山畔は枯れ滝の石組みで、その手前の池には橋が架かつている。また高台寺山の方には、庭のほぼ真正面に灯籠を置くことで遠近感を出しているようである。高台寺山と音羽山の作る稜線が、実に見事である。背景も借景等も含めてすべてに趣あり。

訪問当日の観庭印象は次の通り。

「鶴島と亀島が、池の中央左右にあり。特に亀島の烏帽子岩と蜻蛉灯籠に焦点が行くようになっている。鶴島は板の橋で山畔式の築山に向かつて繋がっており、右側は右肩上がりの斜面となっている。その後ろにある樹木がやはり山の斜面に沿って右肩上がりに植えられている。そしてそのまた後ろの音羽山も右肩上がりの斜面をなしており、三重の右肩上がりの構図が出来上がっており、それがこの庭の一つのアクセントでもあり、魅力ともなっているように思われた。また蜻蛉灯籠の上の辺りが、稜線の作る逆三角形の頂点となっており、空が景観の上部に逆三角形で拡がって行く。この構図は正伝寺の庭も同様であり、庭の景観を額縁で切り取るとすると、これが安定感を与える構図になるのであろう。そしてこの構図はまた、景観の中央に鑑賞者の焦点を持ってこさせる効果があるのかもしれない。また庭の向こうの刈り込みの生け垣が、右側の右肩上がりの線に対し、横に水平に線を引いた形になっているのも構図を引き締めていると感ずる。その背景もやや左上がり気味ではあるが、同じくなだらかな横線を創り上げる稜線となっている。また生け垣の水平の一直線と呼応するのが亀島の四角い石であり、そうしてまた右の山畔の刈り込みの中に見られる直方体の皐月の刈り込みである。手鞠灯籠の丸さが、丸い皐月と呼応していることにも、興趣を惹かれた。」

成就院


コメント

このブログの人気の投稿

県 神 社

天 龍 寺

金 閣 寺