久 昌 院

次に建仁寺の塔頭の、久昌院を見る。美濃加納城主・奥平信昌が三紅紹益和尚を開祖として一六〇八年に創建、信昌の院号の久昌院が寺号となっている。奥平信昌は織田・徳川軍が武田軍を破った長篠の合戦で、長篠城を死守した猛将であった。もとは定昌と言っていたが、この戦功により信長の名前から一字を貰って信昌とし、また家康の姫・亀姫を妻としている。

方丈前庭は池泉鑑賞式庭園であり、生け垣が二段となっているのが面白い。遠州好みの三畳台目の茶室がある。茶室の天井と点前座の天井が異なっているのが、謙譲の美徳を表していると言う事である。庭の前は苔と道が交差しており、やや整備が悪い感じあり。池の周りは護岸石と刈り込みで囲っており、燈篭が左右に一つずつある。右正面の石が滝を表しているのか、石の置き方もやや判然としないところが感じられる。武士の造った庭なので燈篭が置かれているのだろうか。二段の生け垣の右に、一本の葉振りの少ない木がある。その右は高い生け垣となっており、この構成は面白いと思った。 

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