建 仁 寺 本 坊 

今度は建仁寺へと向かう。四条通から建仁寺へと入って行く道が、大変混雑している。建仁寺の入り口の少し手前に競馬の場外馬券売り場があり、今日は競馬の日であるための混雑のようである。この通りには祇園の歌舞練場もあり、御茶屋の多い祇園の真只中である。建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山であり、京都最初の禅苑として名高い。建仁二年(一二〇二年)に鎌倉幕府二代将軍・源頼家が栄西禅師に帰依して建立したお寺である。創建当時は規制宗派に配慮して、台・密・禅兼宗の寺であったが、十一世大覚禅師・蘭渓道隆のときに唯一の禅刹となった。その後、室町幕府・豊臣氏・徳川幕府に支持されて、繁栄を続けてきている。

栄西禅師は備中吉備津宮神主の出で、十一才で仏門に入り、十四才で得度、叡山で顕蜜二宗を研鑚している。二十八才で入宋して半年後帰国、四十八才で再度入宋して天台山萬年寺の虚庵懐敝(きあんえじょう)に師事して、臨済宗法脈第五十三代の衣鉢を継承。五年間の留学の後、帰国している。世は御鳥羽上皇の御代である。帰国後肥前で禅院を創立して弘通、圧迫に対して反駁し、「興禅護国論」を著わした。鎌倉に寿福寺を創建後、京都で建仁寺を建てている。以降京都と鎌倉を往復して活躍しており、また東大寺勧進職ともなり、大仏殿の復興にも尽力している。

本坊方丈は安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が、安芸の国の安国寺より一四八七年建造の方丈を移築したものである。前庭は平庭枯山水で一面に白砂を敷き、門の左右に刈込を植え石を配した清浄感ある庭で、金戒光明寺の庭とよく似ている。門の向うに本堂が背景としてあるのも面白い。方丈左手も石庭となっており、五輪石塔が置いてある。石庭はそのまま西庭へも続く。西庭のところから庭に降りて、茶室を拝観する。

建仁寺本坊・方丈庭園

 

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