泉 涌 寺

 将軍塚より今度は泉涌寺に行くこととする。東山ドライブウェイを下がり五条坂を降って東大路通りに出て、泉涌寺道に入る。東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に静かに佇む泉涌寺は「御寺(みてら)」として親しまれているようである。

この地はもともと弘法大師が庵を結んだところで、最初は法輪寺と名付けられその後仙遊寺と改称されたが、鎌倉時代の初め順徳天皇の御代(一二一八年)に、当寺の開山と仰がれる月輪大師が時の宋の方式を取り入れてこの地に大伽藍を営んだ。その折りに寺域の一角より清水が湧き出たことにより、寺号を泉涌寺と改めたという。月輪大師は宋に渡って仏法に奥義を極め、帰国後は当寺において律を基本に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺として、大いに隆盛させた。時の皇室も大師に深く帰依し、一二四二年に四条天皇が当寺に埋葬されてからは、歴代の天皇の山稜がこの地に営まれることとなり、爾来皇室の御香華殿(菩提所)として篤い信仰を集めている。境内には仏殿・舎利殿を始め、天智天皇以降の歴代天皇の御尊碑を祀る霊明殿などの伽藍が配置されている。

大門を入ると、正面に仏殿と舎利殿が前後に並んでいる。最初に楊貴妃観音殿を見る。唐の玄宗皇帝は今は亡き楊貴妃を偲んで、等身大の聖観音菩薩座像を造らせたという。その像が建長七年(一二五五年)に中国より当寺に将来されたものであるという。優しく、優美であでやかなお顔をされた観音様であった。当日はちょうど本坊が公開されており、本坊に上がって庭園を鑑賞する。楊貴妃観音を拝した直後のためであろうか、このお庭も優美さと繊細さと気品に満ちた池泉鑑賞式庭園であると感じる。紅葉の数は少ないが、それがかえってこの庭が簡素で整った庭であるとの印象を強くするかのようであった。

泉涌寺 庭園



コメント

このブログの人気の投稿

県 神 社

天 龍 寺

金 閣 寺