今 熊 野 観 音 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ 12月 07, 2020 最後に訪れたのは今熊野観音寺である。ここでは今紅葉祭を開いており、境内の紅葉が美しい。当寺もまた弘法大師の開いたお寺であり、西国三十三ヶ所の第十五番札所である。知恵の観音・頭痛除けの観音として、信仰されているようだ。ここでは紅葉の葉の陽を透かしたクローズアップを、何枚かカメラに収める。この今熊野観音を京の紅葉狩りの締めくくりとする。今熊野観音の紅葉 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ コメント
県 神 社 12月 06, 2020 裏門より出て右折して県神社に行く。県神社縁起によると、当社は天照大神の天孫にあたる天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこににぎのみこと)の妃・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を奉祀し、神代以来当地の地主神であった。アガタは上古の県の守護神であったことを示す。後冷泉天皇の御代(一〇五二年)、関白頼通の平等院建立にあたり、同院総鎮守となり藤原氏の繁栄を祈誓した。明治維新までは、平等院が三井寺門主の開眼にかかり天台宗に属していたことにより、大津の三井寺圓満院の管理下にあったが、神仏分離令でその管理よりはずれている。 わがたのむ 県の宮の ます鏡 くもらぬ影を あふぎてぞ待つ 中原師光朝臣 新続古今和歌集 御祭神略伝によれば、木花開耶姫命はまたの御名を神吾田鹿蘆津姫命(かみあがたあしつひめのみこと)と言い、大山祇命(おおやまつみこと)の第二子であった。天孫ニニギノミコトが日向(ひるが)に降臨され、一日笠狭(かささ)の碕に至り海浜に遊幸された折り、一人の美女をご覧になった。それがコノハナサクヤヒメであり、直ちに召して妃とされた。姫命はただ一夜にして孕み給うたので、天孫がこれを疑われた。姫命はこれに対し「吾が生める若し天神の御子にあらずば、必ず灯け亡せなむ。是れ若し天神の胤(みこ)なれば、害(そこな)わるる事無けむ」と言って、戸のない産室を造り、その室に入って火を放たれたところ、産み給うた子、三柱すべて健在であった。父命は喜んで狭名田(さなだ)の稲を用いて、天甜酒あめのたむさけ)を造り祝賀した。これより父命を酒解神(さけときのかみ)と言い、姫命を酒解子神と呼ばれ、ニニギノミコトは造酒の祖師と呼ばれることとなった。また姫命は貞操の女神として富士に奉仕し、その崇高美を尊び、清く美しく家運隆盛と商売繁盛を祈誓してその守護を乞い、結婚安産の守護神として敬われることとなった。県神社の木花開耶姫への信仰は「一事一願成就(ねがいごとかなう)」と言われ、 一、 商売繁盛、家内安全 一、 良縁祈願 一、 安産祈願 一、 諸病平癒 にたいする祈願への霊験あらたかである。県祭は江戸時代に、商都大坂、堺を中心とする町人階級の勃興とともに、きわめて庶民的な「人気の神様」としての信仰と結びつき、六 続きを読む
天 龍 寺 11月 29, 2020 二尊院より南下して、小倉池のそばを通り大河内山荘の前を左に折れて、竹林の中を進むと、そこが天竜寺の北門である。こちらから天龍寺にはいるのは、始めてである。裏山の紅葉を見つつ、曹源池に出る。この庭の紅葉は未だ紅葉しているのが少なく、やや風情がない。 以前ここを訪れたときは、夕刻に近かったが、今回はお昼である。太陽の光は庭の正面に向かつて左手上から射しており、庭一面に十分な陽光が行き渡っているが、趣に欠けるのはなぜであろうか。やはり朝一番か、もしくはやや薄曇りの日の方が、庭の風情は高まるものなのかもしれない。 嵐峡に面した料理屋で、湯豆腐を食して嵯峨野を辞す。 続きを読む
金 閣 寺 11月 28, 2020 参道より総門を入ると、鏡湖池の南東に出る。葦原島を手前にして、金閣の秀麗華美な形姿が池面に映えている。この場所にはかつて釣殿があったようであり、瓢箪の形をした池が左手奥にも深く入り込んでいたようである。釣殿があったということは、ここからの景観がそれだけ見所であったということになる。池に沿って紅葉山に至る柴戸のところまで来る。その柴戸の向こうは、立入禁止となっている。ここからは金閣が殆ど正面に見える。本来この庭は舟遊式であり、舟で景観を愉しむべきであるが、それが叶わないのであれば、せめて池の周囲を一巡できるようにすればよいのにと思う。 金閣は三層から成っているが、金箔を張っているのは上二層であり、二層と一層の間には屋根がないため、遠望すると二層のイメージが強くなるようだ。一層は法水院(寝殿造り)、二層目が潮音洞(武家造り)そして三層目が究竟頂(くっきょうちょう)(禅宗仏殿造り)となっており、三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建造物である。この正面からの構図もなかなか良いので、何枚かの写真を撮る。 本堂の前庭は枯山水となっている。書院の前には陸舟の松という見事な松がある。舟の舳先のように下から上へと競り上がった枝と、帆のように刈り込まれた垂直の枝とでなる松である。これは義満の盆栽を、帆掛け船の姿に似せて造り上げたものと言われている。書院の前より又島々を見る。鶴島・亀島・出亀島・入亀島・向こうに淡路島とあるようだが、一ヶ所からは全ての島は見えない。ただ各々の島は、案内図で見るよりは大きく見える。各大名から贈られた赤松石・畠山石・そして葦原島には細川石もあるようである。又葦原島(これは豊葦原瑞穂の国、すなわち日本を示すもの)には、西芳寺の三尊石組を模したものもあるようだ。将軍義満が、いかに夢窓国師の造った西芳寺に惹かれていたかという証左であろう。金閣の側には夜泊まり石もある。右手の出島には、灯籠が一基置かれてある。全体としてみるとこの庭には松が多いが、これは金色に対応するものとして、常緑の松をその配色を考慮して多用したのかもしれない。池に舟を浮かべて島々を巡りながら、この蓬莱神仙様式を踏まえた池泉舟遊式庭園を、思う存分愉しんでみたいものである。舟の中からの目線では、又違った角度からの景観が開けるのであろう。金閣の北側に廻る。かつて金閣は池中にあり、そ 続きを読む
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