白 雲 庵

 今朝は九時過ぎまでゆっくりと寝たが、天気も良いのでお昼近くに西宮荘を出て、宇治に向かう。京阪淀屋橋から中書島迄急行で行き、そこから宇治線に乗り換えて観月橋、桃山南口、六地蔵、木幡を通って、黄檗に着く。駅より五分くらいで、萬福寺門前に着く。大阪外国事務課に勤務していた昭和四十六年頃に、始めて両親を大阪に呼んで、宇治、大津、京都と廻ったことがあった。その時に昼食を食べた白雲庵が、その門前にある。時間は一時過ぎであったが、そこで普茶料理を食べることとした。

門から入ると、茅葺きの小さな円形の建物がある。自悦軒と書いてあり、建物は大きな酒樽から作られているようである。その左手に白雲庵の建物がある。階段を下ったところの入口より入る。昔の建物とは違っていて、大きな広間があり、そこに座席が作られている。四千五百円の普茶料理を頼む。黄檗普茶料理の説明の紙によれば、ここの普茶料理は江戸初期の(一六六一年)隠元禅師渡来時に伝わった、明風の精進料理であるとのことである。普茶料理の名称の起こりは、普く衆に茶を供するの意と、赴茶(茶に赴く)の意から来ているとされる。いずれにしても禅門の茶礼(儀式法要などの行事が終わった後、前残のも野が一堂に会して、茶を喫しながら意見交換をしたり、協議をしたりする会のこと)の後労を犒うために、作法に従って出される謝茶(僧堂のご馳走)が普茶である。そして白雲庵の普茶は、その食式様式を正確に踏襲して、長方形朱色の飯台に盛られた簡易素朴な禅味の菜を、長幼の別なく一座に四人が会して、食する形式となっている。菜は本来の風味を生かすために、淡泊な味を本位に、色彩にも配慮して供される。その献立は二汁六菜を中心としているとのことである。菜単は次の通りである。

澄子(すめ 蘭茶)  麻腐(まふ 胡麻豆腐) 

雲片(うんべん 吉野煮)  冷拌(ろんぱん 和合物) 

笋羹(しゅんかん 季節の菜煮の盛合せ)  油ジ(ゆじ 味付天麩羅)

素汁(そじゅう すまし汁)  エン菜(えんさい 香の物) 

行堂(ひんたん 季節御飯)

以上が、献立である。昔同じようなものを食べた筈であるが、その内容は湯葉などを使ったものが多かった記憶くらいしかない。したがって、今回始めて味わうのに等しい。量はやや多めであるが、あっさりとしていて素材を活かした味付けであり、美味とはいかないが珍しい料理であることは、間違いない。食事の終わり頃に、仲居さんに昔大きな池があったはずだがと聞くと、この大広間の面している庭の辺りに、大きな池があったとのこと。いまはそこには小さな池があり、中央に枝垂れ桜が植えられている。勘定のために階段を上ったところの旧館にはいる。昔両親と甥と一緒に食事をしたのは、どうもこの旧館のようである。大きな池とその傍らにあった柳に、折からの時雨が音を立てながら降り注いでいたのを、当時は二階から見たような記憶がある。

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