三 宝 院

 当院は醍醐寺の中心子院で、一一一五年当山十四世勝覚僧正の創建である。入門すると、左手に有名な枝垂れ桜が、二本並んで桜花を七分程度咲かせている。円山公園と比べると、やはり南に位置するだけあって開花が早い。期待していた以上に花が開いており幸運であった。院内には国宝の表書院、勅使門、重文の玄関、葵の間、秋草の間、勅使の間、純浄観、護摩堂、宸殿などが並んでおり、極めて豪華な造りである。勅使の間より泉殿へ行く。右手は白沙の庭であるが、五分先の枝垂れ桜が一基咲いている。そこから表書院に入る。写真撮影は残念ながら、庭自体も禁止となっている。

特別名勝の庭は、慶長三年に豊臣秀吉が醍醐の花見に際し、庭奉行竹田梅松軒などに命じて築庭させたもので、名石藤戸石(千石石)は聚楽第より運ばせたものである。表書院の縁側に座って鑑賞する。右手に鶴島、左手に亀島があり、右より鶴島に木橋、そして亀島にかけて石橋、亀島より手前へも石橋、亀島より藤戸石の方へは土橋が架かつている。木と石と土の三様のさまざまな橋が、この庭の見所のひとつと言えそうである。大名庭園のはしりとして、名石・巨石をふんだんに使っているところも雄渾なイメージを鑑賞者に与える。左手前の表書院の下に潜っている池の配置も、なかなか興趣あり。この庭は秀吉の命で作り始められたが、秀吉没後に作庭を指示した義演や賢庭によって、当初の計画の半分の広さに縮小されたという。鶴島と亀島は賢庭の手によるものと言われている。彼が造った金地院と石の使い方が似ており、豪華で力強い意匠である。亀島は鶴島の二倍程度の大きさがあり、桃山時代の特色を示している。池の向こう中央にある三尊石組みの真ん中が藤戸石である。その左には賢庭の組んだ三段の滝があり、その左手が枕流亭である。今度は純浄観側より鑑賞する。右手の景観の雄壮さに比してこちら側はやや牧歌的であり、枕流亭へと架かる土橋はどこか田舎の風景を思わせるものがある。この庭はさすがに見応えのある、変化に富んだ名庭であると感じた。

本堂の方へと登って、瓢箪と盃形の苔地紋を見る。帰りには門前の枝垂れ桜を幾葉かの写真に撮る。醍醐よりは、再度奈良街道を南下し、六地蔵・桃山・深草・伏見稲荷の方面を経由して、京都駅に戻る。


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