大 仙 院

ついで昔訪れたことのある大仙院のお庭を見に行く。大徳寺は名庭園のある塔頭を多く有しているが、それは南北朝の名僧で自ら作庭もした大徳寺二世の徹翁(てっとう)禅師(霊山和尚)の伝統による。そのため歴代の愛庭家の僧が続出したという。そうして応仁の乱後の一休禅師による復興の頃から、枯山水の新様式がこの寺に定着したようである。

この大仙院は古岳宗亘禅師により創建された。入り口を入ると左手に鐘楼そして正面には塔婆がある。堂内の上がり口に、尾関宗園師の「今ここで頑張らず、いつ頑張る」という標語あり。方丈南庭は砂盛二つと生け垣と白沙のみの庭である。書院前庭は著名な枯山水の庭であり、作庭は一五三五年頃古岳禅師(大聖国師)によるものという。この庭は透渡殿(すいわたでん)でふたつにくぎられている。左側は平天石を生かした石組みが山と滝を示し、滝の下に石橋そして鶴島が配置され、白沙が透渡殿の下を流れて右側の庭に繋がっている。右側の庭は青みがかった舟石と蓬莱石(牛石)が配置されている。そして白沙はこの書院前庭から方丈の南庭の白沙の海原へと流れて行く構図となっている。書院前庭の左部分は狭い空間に堂々たる石組みが組まれ、最初はやや過密という印象を受けるが、よく見ると石組みや島が観る者に迫ってくるほどの気迫があり、雄渾な造りである。もう一度右手の庭を見る。蓬莱石の右手に秋冥菊(しゅうめいぎく・漢名秋牡丹、きんぽうげ科、中国原産)が石に寄り添い、語らいかけるかのごとくその花びらを石に向けて咲いている。白沙、白壁そして石の白い部分と符合するかのような白い菊花が印象的であった。北庭はこの枯山水の左側にあり、亀島それと自然石の蹲いのようなものがある。後年の改造と言われており、やや統一感がないと感じる。そこから奥庭へと行く。奥庭には青銅製の鶴が置かれてあり、風情に欠ける。なぜこのように立派な庭園を有する塔頭に、このような物を置いてしまうのか、疑問である。この庭は左手前に青と黒の縞模様の舟石、そして中央に赤茶色の枯れ滝石組みと層の入った石が置かれてあり、それを躑躅の刈り込みが囲んでいる構成となっていた。

大山院 書院前庭

 

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