龍 源 院

 三番目に訪れたのは、龍源院である。当院は臨済宗大徳寺の塔頭のうち最も古いお寺であり、その名の由来も大徳寺の山号である「龍宝山」と臨済禅の「松源一脈」の字より二文字を取って名付けられたものという。大徳寺は一五〇二年に大燈国師により開かれたが、当院はその後まもなく能登の領主畠山義元、九州の大友義長(宗麟の祖父)らにより、大円国師を開山として創建されたものである。

方丈前庭を一枝坦(イッシダン)と呼ぶが、これは開祖東渓禅師が釈尊の拈華微笑という一則の因縁により大悟せられ、その師より賜った室号、霊山一枝之軒より命名されたとのことである。大阪外国事務課に勤務していた独身の頃、もう今から二十一年以上も前になるが、その折に一人で当院を訪れたことがある。その時はこの一枝坦の庭は、灯籠と山茶花の庭であった。山茶花の老樹「楊貴妃」がその傍らの古い苔むした灯籠に、そっと寄り添うかのように立ち並んでいて、地面の苔の醸す暗い色調の中で、山茶花の紅の色がぼおっと煙るかの如くに艶やかだったことを思い出す。その樹齢七百余年の中国伝来と言われる銘木「楊貴妃」も、昭和五十五年についに枯れてしまったと言う。

この寺に最初に訪れたのが昭和四十六年頃であるから、その時より既に二十五年の月日が経過している。そして「楊貴妃」の咲いていた庭は、今は蓬莱山と鶴島、亀島の枯山水の庭へと変わっている。「年々歳々花相似たり、年々歳々人皆同じからず」と言うが、かつて見た山茶花の紅の艶やかさは、ただ私の記憶のなかにのみ残り、そうして、その記憶を持つ私が同じ場所に、こうして枯山水の庭を見ているというのも、なにか不思議な気がする。

龍源院 一枝担




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