二 月 堂

 奈良坂を下って一条通りに出て、そこを東行すると突き当たりが東大寺の転害門である。転害門を左手に曲がってまた右折し、東大寺境内の外周を走って、車はそのまま若草山の麓を二月堂前まで登って行く。この二月堂は東大寺諸堂の中では最も高い場所にある懸崖造りの建物で、お水取りの行事で有名である。この二月堂は良弁(ろうべん)の高弟であった実忠が大仏開眼の年(七五二年)に創建したものである。本尊は摂津難波津から秘仏十一面観音を勧請している。実忠は十一面観音に帰依するところ深く、十一面悔過(けか)法を作ってこれを修した。この十一面悔過の行事の一部が、お水取りである。この実忠はまた、京都南部の田辺にある普賢寺の初代和尚でもあった。普賢寺は実忠の師・良弁が勅命を受けて創建したお寺で、正式名称は普賢教法寺と言い、元来は普賢菩薩が本尊であったはずであるが、今残っているのは実忠の拝した天平仏の十一面観音だけである。

またこの実忠に関しては「元享釈書」という書物に、彼と美貌の皇后との次のような秘事が記されている。光明皇后は東大寺の講堂を参拝したときに、地蔵菩薩の美しさに心を奪われた。そうして皇后は、地蔵菩薩さながらの美男子を与え給えと祈ったと言う。そうして女官に命じて美貌の僧を探せしめたところ、女官が復命したのは実忠の名であった。皇后は実忠を召した。そしてその美貌に眩んで、実忠の裸を見たいと望んだ。そこで実忠に沐浴を勧め、皇后は彼の裸を盗み見た。美僧の裸身は、この世のものとも思えぬ程麗しかった。そうして皇后はうたた寝の夢の中で、美僧を犯してしまう。夢から覚めると、実忠は皇后の枕元に坐り、十一面観音を頂き捧げてこれを礼拝していた。その厳粛さに、皇后も我に返って実忠の前に合掌して懺悔したという。
二月堂


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