志貴山朝護孫子寺

 義弟の車で、志貴山へと登る。志貴山は敏達天皇の時代(五八二年)に、聖徳太子がここで毘沙門天を感得されたとして有名である。聖徳太子はこの山で物部守屋を討伐すべく、戦勝祈願をされた。そして寅の年、寅の日、寅の刻に、初めて毘沙門天を感得されたと言う。聖徳太子はその後用明天皇五八七年に毘沙門天の御加護で物部守屋を滅亡させ、自ら毘沙門天を刻んで当山の本尊として祀られた。そのために当山は信ずべき、貴ぶべき山として、信貴山と名付けられ、爾来毘沙門天王の総本山となっている。醍醐天皇の時代(九一〇年)に、当山は中興開山の命運上人が堂塔を建立、天皇重病の折りに毘沙門天の御加護で全快されたため、朝護孫子寺の勅号を賜ったと言う。

入門して坂道を登り、玉蔵院・浴油堂を経て日本一大地蔵尊・阿シュク如来・縁結び観音を拝する。石燈篭のある参道を歩いて行くと、宝物庫がある。中には信貴山縁起絵巻のコピーが展示されている。本絵巻は中興・命運上人に関する物語を鳥羽僧正が描いたもので、日本四大絵巻きの一つと言われる。楠木正成・筒井順昭・武田信玄などが、当山に信仰篤かったと言われる。また松永久秀が城を築く。織田信長の攻略に遭い一山堂塔すべて灰燼に帰したが、豊臣秀頼が再建したと言われる。

本堂に登る。この建物も長谷寺や清水寺と同じく、舞台造りである。本堂下の、戒壇巡りをする。暗黒の世界を手探りで進むと、途中に守り本尊を拝むことが出来るように小さな明かりが一個所のみ点いていた。ゆっくりとお参りすれば半日はかかるほど、様々な堂塔に満ち満ちた志貴山であった。

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