聖 林 寺

 難波より近鉄大阪線の特急に乗り、大和八木で乗り換えて櫻井の駅に着く。駅でタクシーを拾って聖林寺に向かう。聖林寺は、山の麓の少し小高いところにある。この辺りまで来る観光客は少ないようであるが、その日は修学旅行の高校生達のバスが、二台止まっていた。駐車場でタクシーを降りて、なだらかな坂道を登る。道からは石段で山門に上がる。聖林寺は藤原鎌足の長男定慧(じょうえ)が、父鎌足の菩提を弔うために、和銅五年(七一二年)に庵を結んだのが始まりと言われている。その後大神(おおみわ)神社の神宮寺である大御輪(おおみわ)寺の慶円上人が、鎌倉時代に阿弥陀三尊を祀って再興したという。本尊は丈六の子安延命地蔵尊で、僧文春が享保二〇年(一七三五)に本堂を新築して安置したもので、以来寺号を聖林寺とした。その本尊は、現在も安産祈願の信仰を集めている。

修学旅行生と一緒に、本堂で説明を聞き、今度も学生達と一緒に本堂左の階段を上って、コンクリート製の収蔵庫に入る。そこにはガラスで仕切られた向こうに、有名な十一面観音が安置されている。この十一面観音は、日本仏像彫刻の最高傑作の一つと言われ、天平時代の木心乾漆像である。住職と思われる方の説明では、「永遠の凝視」と言われる表情で、じっと静かな瞑想を続けられている。この観音様は、国宝の仏像百体の中で、第一次に選考された二十五体の中の一つであるとのことである。そうして蓮台の蓮弁が厳しく反り上がっているのが、特長であるとのことだ。この観音様は何度か写真で見たことがあるが、今日始めてお堂の外側から拝観したときに、先ずその均整の取れたお姿に見とれた。中に入って、修学旅行生に混じって、住職の説明を聞きながら、お姿を鑑賞する。お顔は薄く目を開けており、為に「永遠の凝視」と呼ばれているのだろう。遥か遠くを見つめておられるようだ。眉毛は山なりとなっており、鼻筋は日本的であるが、口許はインド風にやや分厚い。下膨れのふっくらとした顔立ちで、乾漆の金箔に亀裂が入っているためか、少し泣き顔となっているように感じられる。耳朶は長く、下部には大きな穴が開いている。肩幅は広く、その肩には優婉な天衣が掛けられている。胸部は普賢寺の十一面観音より盛り上がっている感じで、やや斜め横から拝すると、女人の豊かな胸のようにも見える。胸よりすぐ下は、きゅっと腰にかけて引き締まっており、お腹はまたふっくらとやや前方に撓って出ているようだ。

左肩から右脇へと掛けられた条帛(じょうはく)の流れも、優美である。腰回りは脇腹と比べるとまた、ぐっと張り出しており、極めて安定感のある造りとなっていて、肩幅の広さと調和する曲線を描いている。裳は腰から下を、優雅に被っていて、両足はきっちりとそろえて並んでいる。左手には蓮華を挿した花瓶を持ち、右手は垂れ下がっており、人差し指と小指をたおやかに伸ばし、中指を四十五度、薬指を九十度内側に曲げているその右手の優美さは、その部分のみで鑑賞に価するほどの見事さである。まるで観音の心を、この優美でたおやかな指が表しているようである。特徴的なのは、肩からの納衣が二重の長い楕円を描いていることであろう。ひとつめは両肩から上膊部に懸かりそして腰の前面に円弧を描いており、もうひとつは左肩より垂れ下がって膝の辺りで半円を描き、それが右手首に掛かってその下の足許まで垂れ下がっている。そうして右手から垂れ下がった納衣とシンメトリカルに、左肩からもう一本の納衣が垂れ下がっているのである。造形へのきめ細かい技巧が凝らされていることがよく判る。蓮台は花弁が互い違いに配されている様式で、蓮弁は奈良時代の特長である厳しい反りを見せている。天平佛の優作として、その均整の取れた肢体と、凛々しい面差しが極めて印象深かった。絵葉書と共に入っていた説明書には、

 「貪(欲張り)、瞋(怒り)、痴(愚かさ)を三毒と言う。この三つの悪心が働くと、我々の心は苦しみ、死に至る。この三毒を観音経では、淫欲、瞋恚、愚痴という言葉で表しており、この三毒を菩薩の心に転ずる方法を説いている。すなわち観音経を唱えることによって、貪欲を慈悲に、瞋恚を勇猛心に、そして愚痴を智恵に転ずることが出来ると断言している。自己との不断の闘い、そうして自省の前に、観音菩薩が現れるのである。」

     木の実降り 鵯(ひよ)鳴き 天平観世音   水原秋桜子

     さくはなの とわににほへる みほとけを

        まもりてひとの おいにけるかも   会津八一

     み仏の みかほはいまだ おがまぬに

           火のともりたり 秋の山    尾上柴舟 

 本堂に戻り、本尊の小安延命地蔵菩薩を拝す。元禄時代作の丈六の石仏であり、女人安産、子授けの祈願本尊として有名である由。その本堂の右隅に、たしかフェロノサだと思うが、彼がこの寺の十一面観音を見てその維持保存のために贈ったと言われる厨子が置かれてあった。

聖林寺 入山道


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