夢 殿 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 12月 11, 2020 夢殿は東院伽藍の中にあり、六〇一年に造営された聖徳太子の斑鳩宮趾と伝えられている。天平十一年(七三九年)に行信僧都が太子の遺徳を偲び冥福を祈るため、八葉の蓮華に擬して造営したと言われ、我が国最大の八角円堂である。堂内の厨子には聖徳太子等身の秘仏・救世観音が安置されているが、特別公開時にしか拝観は出来ない。四隅の一方に枝垂れ桜の古木あり。花の時期にはこの夢殿をさぞや彩るものとなるのであろう。夢殿 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
好 古 園 12月 21, 2020 百日紅と櫓をポイントとして写真を撮してみる。この庭の奥は竹の庭となっている。日本の竹のうちの、代表的な十五種類を植えているそうである。枯山水こそなかったが樹木を使って、日本の庭の様々な形態を武家屋敷風に築地塀で区分けして造り上げており、まだ庭が新しいため風情の十分でない部分もあるが、全体としてはなかなか見事な庭園となっていると感じた。 江戸時代最後の姫路城藩主酒井氏は、前任地前橋で藩校「好古堂」を創立しており、当地への移封に伴ってその藩校を、この庭園の入り口付近に移設したという縁より、この庭園は「好古園」と名付けられた由である。お屋敷の庭の所には、その昔江戸新吉原より高尾太夫が落籍されて棲んでいたとも言われている。 好古園 続きを読む
姫 路 城 12月 21, 2020 大手門より入城する。三の丸公園の向こうに大天守閣の偉容が現れる。左手には千姫牡丹園がある。千姫は二代将軍秀忠の長女として生まれ、美しく聡明で愛らしい花のようなプリンセスであった。七歳で豊臣秀頼に嫁いだが、大阪夏の陣で炎上する大阪城を脱出、江戸への帰路桑名城主本多忠政の子忠刻と出会い恋に落ちて程なく結ばれた。千姫十九歳の時のことである。そして本多家の姫路移封に伴い千姫も忠刻と共に姫路に移った。その千姫のために築かれたのが、西の丸の長局である。菱の門より入り、西の丸の長局の外観を見て、はの門、二の門を通り、乾小天守を見ながらほの門を潜る。大天守の裏を通って備前丸に出て、大天守の内部に入る。内部は七層となっており、松本城と比べると一回り以上大きな造りであり、上りの階段と下りの階段が別々となっている。最上層まで登る。お昼にビールを飲んだ為、階段を上るのに大変な汗をかく。最上層は見晴らしが良くて、そして涼風が室内を通り過ぎて行く。大天守閣より下りて、播州皿屋敷で有名なお菊の井戸の前を通って、内堀より天守閣を望む。ここからは天守閣がまさにその名の通り、白鷺のような麗姿を見せる。この姫路城の天守閣の姿の美しさは大天守そのものの姿もさることながら、それに西小天守、そしてさらに乾小天守がまるで大天守に付き添うかの如く並び立っている、そのバランスの優美さにある。そしてまたその城郭を取り囲む白い土塀と、様々な櫓や門等の建物が、その城塞としての機能美をいっそう引き立てるのである。 姫路からの帰りは新快速を使う。垂水あたりから塩屋にかけての、海沿いの眺めが綺麗である。 姫路城の城門 続きを読む
好 古 園 12月 21, 2020 バスに乗って市内に戻り、姫路城大手門前で降りる。そして以前テレビで見たことのある好古園に入る。この地は昔姫路城の西御屋敷跡であり、姫路市生百周年を記念して、平成四年に開園した庭園である。西御屋敷跡と武家屋敷跡を地割り、通路など昔のままにして九つの庭園郡を造り上げており、設計監修は京都大学の中村一(まこと)教授によるものである。 屋敷門を潜ってまずお屋敷の庭にはいる。桧造りの活水軒に入る。中はホールと食堂、喫茶室が設けられている。渡り廊下を経て、潮音斎に入る。この建物は堂々とした造りの大きな池に面しており、正面には雄滝があり、その右手には姫路城の櫓が遠望でき、見事な眺めである。室内は良く冷房が利いており、この庭を訪れる人のための配慮が感じられる。次に苗の庭を経て、流れの平庭に入る。この庭は貴族の屋敷に造られていた曲水をテーマとした庭である。その曲水を、塀の向こうに遡ると、落葉樹ばかりを配した夏木の庭、そして松の庭へと続く。松の庭の奥には、花の庭があり百日紅の花が白色と紅色に咲き乱れていた。その次には茶の庭を見る。庭園は芝生に樹木を配しているだけの簡素な庭である。裏千家家元の設計、監修による双樹庵という立派な茶室があったが、時間が十分にないため中には入らなかった。この建物は姫路城の天守閣のほうを向いているとのことである。それから築山池泉の庭に入る。この庭は池に面して左手に臨泉亭が造られており、借景として姫路城の櫓が眺望できる、なかなかに風情のある庭であった。 好古園 続きを読む
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