書 写 山 圓 教 寺

 今日は前々から訪れたいと思っていた姫路に行くこととする。阪急で三宮に出て地下鉄で新神戸に着く。新神戸から新幹線に乗って姫路に向かう。今日はお盆休みの最中なので、まだ乗客は多く三十分あまりは立ちずめである。姫路の駅におりて観光案内を見る。バスで四十分あまりの所に、書写山圓教寺がある。バスに乗り姫路城の大手門前を通って、書写山ロープウェイ駅に着く。ロープウェイで標高三百七十メートルの書写山へと登る。やや薄曇りの日であるため、眺めは今一つである。

当寺は康保三年(九六六年)に性空正人によって開かれている。性空上人は敏達天皇の子孫、橘善根の次男として生まれ、三十六才にして出家し最初は比叡山にて修行をした。その後九州の霧島山、背振山で修行を重ねたが、五十七才の時また新しい修行地を求めて九州を後にした。修行の成果を京都で発揮しようとしていたにかもしれないが、播磨の国まで来たところで、それまで背振山を後にしたときからずっと性空上人につきまとっていた瑞雲が、上人を導くかのように書写山のほうへと流れていった。その山に入っていった上人は、道中奇異な僧侶に出会った。その僧は、この山は書写山と言いここを訪れるものは六根を清めることが出来ると言った。僧は文殊菩薩の化身だったのである。こうして性空上人は当山を開いたのである。当山に最もゆかりのある人物は、花山天皇である。花山天皇は十六才で即位されたが、寵姫を無くした後謀られて十八才で退位、悌髪された。そして性空上人に帰依し、西国三十三観音霊場巡礼の端緒を開かれたのである。


書写山 観音菩薩


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