閑 谷 学 校

 焼き物の里を後にして、閑谷学校へ行く。創設者である藩主池田光政が、この地を選んだらしい。谷間の静寂な山の懐となっている場所で、確かに風趣に富む優しい感じの土地である。一六六八年に最初の手習い所を設け、その後重臣津田永忠らによって拡張された。学校へは所領も与えられ、光政がいかに庶民教育を大切にしたかが伺われる。学校は高さ一メートル半以上、幅も一メートル以上の石壁で囲まれている。門・講堂の屋根はすべて備前焼の瓦で敷かれており、受ける印象は中国宗風である。学校は全寄宿制であり、小学生くらいの子供も入寮させており、教育への情熱が偲ばれる。光政公は実に開明の名君であったのであろう。孔子廟もあり、山田方谷もここで傑出した人物を教えたようである。

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