旧 大 乗 院 庭 園

 難波より近鉄の特急で、近鉄奈良駅に着く。最初に奈良ホテルの建物を見に行く。瓦屋根の本館は格調高い桃山御殿風総檜造りで、創建は大正時代であり約八十年前となる。中に入ると内装は和・洋が巧みに調和し、白木のままの高欄、格天井、欄間等に御殿風の雰囲気が偲ばれる。新館もあり、こちらは吉野風の造りである。本館の玄関脇の八重桜が、見事な花振りを誇示して居るかのようであった。

奈良ホテルより歩いて旧大乗院庭園へと行く。平成七年の一月に来たときにはJRの保養所に許しを得て庭園内を歩いたが、二年余ぶりに訪れてみると庭園の南側の民家が無くなっており、そこに名勝大乗院庭園文化館が造られていた。パンフレットによればこの文化館は庭園の管理を行っている日本ナショナルトラストが、日本宝籤協会の助成を得て建設したものだそうである。和風建築のなかなか立派な造りであり、中は休憩室、資料室や展示室と共に日本座敷の休憩室や茶室が造られており、館内から庭園をゆっくりと鑑賞できるようになっている。

大乗院は興福寺の門跡寺院として平安時代から室町時代に盛えた子院であり、本来は現在の奈良県庁のあるあたりの一乗院の隣りに建てられていた。しかし治承四年(一一八〇年)の兵乱で平重衡の為に、東大寺の大仏殿、七重塔、興福寺と共に焼き払われてしまった。その後鎌倉時代にこの地に移されている。しかし庭園そのものは禅定院の庭として、もともと平安時代からこの地に存在していたようである。その後室町時代前期に大乗院の門跡であった尋尊が、当時の庭師の第一人者であった善阿弥に依頼して改造したと伝えられており、善阿弥が関与した唯一の遺構として貴重なものであるという。文化館から見るとちょうど正面に赤い太鼓橋が見え、池の周りも改修したらしく汀に州浜が拵えてある。パンフレットによれば平成七年度から本格的な発掘調査を行っており、平成十二年度正式公開を目標に復元整備工事が行われているそうである。池の造りからすると池泉舟遊式の庭園であり、平安王朝時代の宸殿造りの様式の名残がよく判る。大乗院はこの地に移ってから寺運隆盛であり、現在の奈良ホテルの所には丈六堂・天竺堂・八角多宝塔・釈迦堂があり、園池の近くには寝殿や雑舎があったという。しかし一四五一年の元興寺の出火により、堂塔の殆どが消失してしまった。今見るとちょうど正面の小高い丘の上に奈良ホテルがある。景観として問題なのは、太鼓橋の向こうに奈良ホテルのゴミ焼却器が置かれており、これがあるために折角の景観が損なわれていることである。

旧大乗院 庭園


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