法 隆 寺

 旧大乗院より国鉄奈良駅に行って、法隆寺に向かう。法隆寺の建立の経緯は次の通りである。用明天皇は自らの病気の平癒を祈って、寺と仏像を造ることを誓願されたが、その実現を見ないまま崩御された。そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇の御遺願を継いで、推古十五年(六〇七年)に当寺と本尊薬師如来を造られたのが法隆寺(斑鳩寺)の始まりと言われている。推古天皇に至る皇統は、欽明天皇(即位五四十年)、欽明天皇の第二子・敏達天皇(即位五七二年)、欽明天皇の第四子・用明天皇(即位五八七年)、欽明天皇の第十二子で蘇我馬子に弑された・崇峻天皇(即位五八八年)、敏達天皇の后であり聖徳太子の叔母に当たる推古天皇(即位五九三年)である。これを見ると欽明天皇は在位三十二年であり、為に欽明天皇の皇子が三人も天皇として即位したことが判る。そして中でも上宮太子の御父・用明天皇は在位一年で病のために崩御しており、その遺願である法隆寺の建設に聖徳太子が情熱を傾けたわけである。

 南大門より入って西院伽藍を望む。この位置から見る五重塔をはじめとする西院伽藍の眺望が好きである。この法隆寺の建築美観は中門と講堂を前後に回廊が四方に巡らされており、その中に千四百年を経た五重塔と金堂が構築されているところにあると感じる。伽藍内に入って五重塔と金堂、講堂を見る。講堂は火災により焼失していたものを、平安時代の九九〇年に再建したものである。中には薬師三尊と四天王があるが、残念ながら余り惹かれるものがない。

法隆寺 大伽藍


コメント

このブログの人気の投稿

県 神 社

天 龍 寺

金 閣 寺